箕有野江線、京阪梅田線(補遺) [夢のあと]
(城東線払い下げ決定の日付について)
太田光凞の「電鉄生活三十年」〔1938(昭和13)年発行〕の抜粋を掲載したこちらのページ
http://ktymtskz.my.coocan.jp/kansai/keihan3.htm
には、払い下げ決定の日付が大正1年5月20日となっていますが、これは原本の写し間違いと思われます。
太田光凞の「電鉄生活三十年」〔1938(昭和13)年発行〕の抜粋を掲載したこちらのページ
http://ktymtskz.my.coocan.jp/kansai/keihan3.htm
には、払い下げ決定の日付が大正1年5月20日となっていますが、これは原本の写し間違いと思われます。
再び京阪梅田線(その3) [夢のあと]
鉄道省は、城東線の高架新線を建設後に旧線を廃止して、その土地を京阪に明け渡すはずでした。しかし1923(大正12)年に関東大震災が発生すると、震災で壊滅した首都圏の鉄道網の復興が優先されて城東線の新線建設は後回しになり、城東線は旧線のまま維持されて、京阪は梅田線の建設を開始できなくなってしまいます。
再び京阪梅田線(その2) [夢のあと]
その資料というのは、開業当初から京阪の実質的な経営者であった太田光凞の回顧録「電鉄生活三十年」〔1938(昭和13)年発行〕です。