南へ(その2) [夢のあと]
海南
に戻ると駅前ではささやかなフェスティバルが開催されており、子供たちの太鼓隊が演奏中。
駅前の道路は、おそらく南海の和歌山軌道線が走っていた道のはずですが、その痕跡は全く残っていません。
海南から紀勢線に乗って
和歌山。
駅ビル地下のレストラン街で昼食後、和歌山線ホームへ。
粉河行きの105系の先頭(2両編成ですが)は、千代田線直通用の常磐線車輌だった元の103系1000番台。
隣のホームは和歌山電鐵貴志川線。
梅干し電車が発車。この色、いいですね。
ここから105系に乗って
和歌山市着。
和歌山市駅の駅ビルは、取り壊して新築工事中。
市駅前にあった鉄骨のアーチは、和歌山軌道線の架線柱か何かでしょうか。和歌山軌道線は、ここから先ほどの海南駅前までの13.4kmと、途中から分岐して和歌山駅前までの1.6km、そして新和歌浦までの1.1kmという結構な路線網を持ち、途中にはトンネルもあったようです。
市駅の構内。
駅北側の踏切。加太線のめでたい電車が通過中。
古い架線柱は、当然かもしれませんが、難波-萩之茶屋間の高架の架線柱にそっくり。
それにしても南海さん、架線柱サビサビですよ。
市駅の構内。
車庫を併設しているとはいえ、今や地上にこんなに広い敷地がある駅は、私鉄では少ないのでは。
踏切を渡り、裏町を抜けて辿り着いたのは紀の川の左岸。
何やら工事中なのは河西橋。今日2つめの目的地です。
この橋は、もともと加太軽便鉄道が、和歌山市内へ進出するため1914年に架橋した単線の紀ノ川橋梁。
この付近の紀の川は河口に近く、結構な川幅があって、一介の軽便鉄道がおいそれと架橋できるような場所ではないはずですが、加太線の沿線には、淡島神社などの神社仏閣や海水浴場がある上、由良要塞、友ヶ島要塞などの軍事施設もあり、参拝、参詣輸送に海水浴客、それに軍事物資の輸送と結構な需要があったため、架橋にこぎつけることができたようです。
その後、電化して加太電気鉄道となり、さらに南海鉄道に合併された後、1944年には第二次世界大戦時の戦時統合で近畿日本鉄道となります。
しかし、1942年に沿線に作られた軍需工場(住友金属和歌山製鉄所)に原材料と製品(どちらも重量物です)を輸送するにはこの橋では無理があったようで、1944年には、途中の東松江から南海本線の紀ノ川へ接続する新線が完成し、まず貨物列車がこちらの新線を通過するようになります。
そして戦後、1950年の7月には旅客輸送も新線に切り替えられますが、その直後、同年9月に近畿地方を襲ったジェーン台風で、紀ノ川橋梁は紀の川の右岸側の半分が流されてしまいます。
写真の手前側、石積みの橋脚が、流されずに残った部分。しかし、この残された部分も少なからず被害を受けており、向こうから3つ目の橋脚は今も傾いたままになっています。台風が来る前に、旅客輸送も新線に切り替えられた理由は不明ですが、もしかすると台風前にすでに限界が来ていたのかもしれません。
それでも流された部分を新しく作り直して(写真奥の、橋脚の形が違っている部分です)、人、および二輪車専用の橋として再起させたのが今の河西橋ですが、その橋も近々には架けなおされることになったため、加太軽便鉄道の痕跡が残っているうちにと思ってやって来た次第。
渡り始めました。手すりの影が途中の一か所で曲がっているのは、先ほどの、一つだけ傾いた橋脚の場所。橋全体が歪んでいるのです。
しかし、渡り始めたのはいいものの、橋の手すりが貧弱な上、橋の下の紀の川が結構な水量のため、怖くなってしまい、途中であきらめて引き返すことに。振り返ると、橋とその取り付け道路(線路跡)は左に緩くカーブして
和歌山市駅の方へ向かっています。
そして今の市駅の構内の、写真右の車庫のあたり
にあった加太軽便鉄道の和歌山口駅に繋がっていたようですが、いまはその痕跡は残っていません。
再び踏切を渡ります。南海本線の難波方面。この先には、紀の川を渡る南海の紀ノ川橋梁がありますが、くたびれてきたので市駅へ。
加太線ホームに停まっていたのはめでたい電車ではなく普通の7100系。
難波行き特急サザンの普通席車(今日は9000系でした)に乗って帰ってきました。
この日一日で、野上電気鉄道(野上軽便鉄道1916年開業)、南海和歌山軌道線(和歌山水力電気1909年開業)、和歌山電鐵貴志川線(山東軽便鉄道1916年開業)、南海加太線(加太軽便鉄道1912年開業)の4つの地方私鉄の痕跡を廻ることができました。
1903年に南海鉄道が和歌山に到達することで、当時の和歌山に鉄道ブームが巻き起こっていたことが想像されます。
(この項おわり)
に戻ると駅前ではささやかなフェスティバルが開催されており、子供たちの太鼓隊が演奏中。
駅前の道路は、おそらく南海の和歌山軌道線が走っていた道のはずですが、その痕跡は全く残っていません。
海南から紀勢線に乗って
和歌山。
駅ビル地下のレストラン街で昼食後、和歌山線ホームへ。
粉河行きの105系の先頭(2両編成ですが)は、千代田線直通用の常磐線車輌だった元の103系1000番台。
隣のホームは和歌山電鐵貴志川線。
梅干し電車が発車。この色、いいですね。
ここから105系に乗って
和歌山市着。
和歌山市駅の駅ビルは、取り壊して新築工事中。
市駅前にあった鉄骨のアーチは、和歌山軌道線の架線柱か何かでしょうか。和歌山軌道線は、ここから先ほどの海南駅前までの13.4kmと、途中から分岐して和歌山駅前までの1.6km、そして新和歌浦までの1.1kmという結構な路線網を持ち、途中にはトンネルもあったようです。
市駅の構内。
駅北側の踏切。加太線のめでたい電車が通過中。
古い架線柱は、当然かもしれませんが、難波-萩之茶屋間の高架の架線柱にそっくり。
それにしても南海さん、架線柱サビサビですよ。
市駅の構内。
車庫を併設しているとはいえ、今や地上にこんなに広い敷地がある駅は、私鉄では少ないのでは。
踏切を渡り、裏町を抜けて辿り着いたのは紀の川の左岸。
何やら工事中なのは河西橋。今日2つめの目的地です。
この橋は、もともと加太軽便鉄道が、和歌山市内へ進出するため1914年に架橋した単線の紀ノ川橋梁。
この付近の紀の川は河口に近く、結構な川幅があって、一介の軽便鉄道がおいそれと架橋できるような場所ではないはずですが、加太線の沿線には、淡島神社などの神社仏閣や海水浴場がある上、由良要塞、友ヶ島要塞などの軍事施設もあり、参拝、参詣輸送に海水浴客、それに軍事物資の輸送と結構な需要があったため、架橋にこぎつけることができたようです。
その後、電化して加太電気鉄道となり、さらに南海鉄道に合併された後、1944年には第二次世界大戦時の戦時統合で近畿日本鉄道となります。
しかし、1942年に沿線に作られた軍需工場(住友金属和歌山製鉄所)に原材料と製品(どちらも重量物です)を輸送するにはこの橋では無理があったようで、1944年には、途中の東松江から南海本線の紀ノ川へ接続する新線が完成し、まず貨物列車がこちらの新線を通過するようになります。
そして戦後、1950年の7月には旅客輸送も新線に切り替えられますが、その直後、同年9月に近畿地方を襲ったジェーン台風で、紀ノ川橋梁は紀の川の右岸側の半分が流されてしまいます。
写真の手前側、石積みの橋脚が、流されずに残った部分。しかし、この残された部分も少なからず被害を受けており、向こうから3つ目の橋脚は今も傾いたままになっています。台風が来る前に、旅客輸送も新線に切り替えられた理由は不明ですが、もしかすると台風前にすでに限界が来ていたのかもしれません。
それでも流された部分を新しく作り直して(写真奥の、橋脚の形が違っている部分です)、人、および二輪車専用の橋として再起させたのが今の河西橋ですが、その橋も近々には架けなおされることになったため、加太軽便鉄道の痕跡が残っているうちにと思ってやって来た次第。
渡り始めました。手すりの影が途中の一か所で曲がっているのは、先ほどの、一つだけ傾いた橋脚の場所。橋全体が歪んでいるのです。
しかし、渡り始めたのはいいものの、橋の手すりが貧弱な上、橋の下の紀の川が結構な水量のため、怖くなってしまい、途中であきらめて引き返すことに。振り返ると、橋とその取り付け道路(線路跡)は左に緩くカーブして
和歌山市駅の方へ向かっています。
そして今の市駅の構内の、写真右の車庫のあたり
にあった加太軽便鉄道の和歌山口駅に繋がっていたようですが、いまはその痕跡は残っていません。
再び踏切を渡ります。南海本線の難波方面。この先には、紀の川を渡る南海の紀ノ川橋梁がありますが、くたびれてきたので市駅へ。
加太線ホームに停まっていたのはめでたい電車ではなく普通の7100系。
難波行き特急サザンの普通席車(今日は9000系でした)に乗って帰ってきました。
この日一日で、野上電気鉄道(野上軽便鉄道1916年開業)、南海和歌山軌道線(和歌山水力電気1909年開業)、和歌山電鐵貴志川線(山東軽便鉄道1916年開業)、南海加太線(加太軽便鉄道1912年開業)の4つの地方私鉄の痕跡を廻ることができました。
1903年に南海鉄道が和歌山に到達することで、当時の和歌山に鉄道ブームが巻き起こっていたことが想像されます。
(この項おわり)
2018-11-10 13:14
nice!(10)
コメント(3)
@ミックさま
iruchanさま
鉄腕原子さま
nice!ありがとうございます。
by hideta-o (2018-11-19 08:17)
gardenwalkさま
ネオ・アッキーさま
芝浦鉄親父さま
nice!ありがとうございます。
by hideta-o (2018-11-19 08:18)
ワンモアさま
甘党大王さま
MINERVAさま
nice!ありがとうございます。
by hideta-o (2018-11-19 08:19)