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市電局技報-技報第4~6報- [アーカイブ]

技報第4報(2601型の動力化について-第4回-)
 技報別冊でミニカー集めに熱中している間に、世の中では動力化についての進展があった。 トラムウエイから、市電2600型用の動力ユニットが発表されたのである。 その写真を見ると、当初、予想していただるまやのパワートラックセットを利用したものではなく、これまでに見たことのない、 全く新しい構造を採用していることがわかる。しかも、発表によると、この動力ユニットは、150Rの通過が可能であるという。 これは、ぜひ入手して検討しなければならない。という訳で、早速予約をした。今から到着が楽しみである。(2005.3.4記す)

技報第5報(市電の走行安定化について-第1回-)
 今から10年ほど前のとれいん誌に、電気二重層コンデンサを用いた模型車輌の走行安定化についてのレポートが掲載されたことがあった。 しかし、電気二重層コンデンサが極性を有し、前後進の切替のために極性を逆転させる必要のある鉄道模型に適さないことから、普及するに至っていないのが現状である。
 今般、当市電局では、この電気二重層コンデンサを用いた新たな回路を開発して、市電の走行安定化を図る研究に着手することとした。
 最初に考えたのが、昔の3線式Oゲージのように、市電に逆転器を組み込むことである。回路構成を図1に示す(図1)。
(図1)
kairo1.gif
 図の回路によれば、電気二重層コンデンサとモータとの間に挿入した逆転器を切り替えて、モータに入力される電圧の極性を切り替えることによって、市電を前後進させることができる。 ダイオードブリッジは、パワーパックから入力される電圧が、常に正方向になるように整流して、電気二重層コンデンサを保護するためのものである。
 また、リミットスイッチは緊急停止用である。 電気二重層コンデンサを組み込むと急停車ができなくなるので、リミットスイッチを前後のバンパーに組み込んで、追突時に、急速放電させてモータを緊急停止させるのである。
 逆転器は、ビューゲルに組み込むことを考えている。ビューゲルは、前後進のたびに方向転換させる必要があるので、 それを逆手にとって、ビューゲルを方向転換させることで、市電の進行方向を逆転させるのである。逆転器としてトグルスイッチを使用して、 そのツマミの部分にビューゲルの本体を固定して一体化させる計画である。(2007.4.27記す)

技報第6報(市電の走行安定化について-第2回-)
 制御回路を変更することにした。やはり衝突してから放電をさせるのでは遅すぎる。事前に放電をさせて、衝突を回避するのが望ましい。 そこでパワーパックに、2本の線路間を短絡させて電気二重層コンデンサを放電させるための回路を組み込み、手元からの操作で市電を緊急停車させることを検討した。 しかし、第5報で報告した図1の制御回路では、ダイオードブリッジが障害となって、放電させられないことが判明した。
 そのため、ダイオードブリッジを省略した図2の制御回路を考えた。
(図2)
kairo3.gif
  図の制御回路によれば、電気二重層コンデンサを、手元の緊急停止回路を操作することで放電させて、市電を急停車させることができる。 そのため、バンパに組み込む予定であったリミットスイッチの回路は、必要なくなるため省略することとした。
 なお回路中の発光ダイオードは、パワーパックから、線路を通して電気二重層コンデンサに入力される電圧が逆方向であった場合に、光って警告を発するためのものである。 これにより、積極的にではないが、電気二重層コンデンサを保護することができると考えている。(2007.5.18記す)

 市電局技報はここで終わっています。すでに13年経過していますが、果たして再開はあるのでしょうか。
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市電局技報-技報第3報- [アーカイブ]

技報第3報(2601型の動力化について-第3回-)
 作業3(床板の穴開けおよび動力装置の仮組み)
 穴開けに先立って、図1に示した取り付け用の穴を描いた型紙をCADで作製し、スティック糊で、床板の下面に貼り付けた(写真1)。 そして、型紙に従って穴開けを行った(写真2)。また、動力台車側のネジ穴の部分は、ちょうどシートの部分に相当するので、 ネジを取り付ける分のシートを切り取った(写真3)。
(写真1)
2602g.jpg
(写真2)
2602h.jpg
(写真3)
2602i.jpg
 ここで、動力装置の取り付け具合を確認するために仮組をしたところ、問題が発生した。 動力台車の、絶縁側の車輪から集電してモータに接続しているリン青銅製の集電ブラシ(写真4)が、横方向に大きく張り出しており、そのまま床板に組み込むと、 穴の縁に当たって、動力台車の首振りを妨げるのである。
 そこで、集電ブラシとモータとの間は別に配線することにして、集電ブラシの、横方向に張り出した上半部をカットした(写真5)。これで、動力台車は漸く、 どちらの方向にも同じだけ首を振ることができるようになったが、今後、最小通過半径(200Rを予定している)をクリアできるかどうかを確認する必要がある。(2005.2.6記す)
(写真4)
daruma03.jpg
(写真5)
daruma04.jpg
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市電局技報-技報第2報- [アーカイブ]

技報第2報(2601型の動力化について-第2回-)

 トラムウエイから発売がアナウンスされた2601型用の動力化セットを入手し、組み立てて、床板を取り外した車体と組み合わせれば、 動力化の作業は完成である。・・・しかし、それでは、わざわざホームページを立ち上げた意味がない。たくさん買い揃えた動力装置も無駄になってしまう。 でも、動力化セットと同様のものを一から作る元気もない。そこで、改めて、取り外した床板を見てみると、シートやステップ、コントローラ、 運転台の仕切りまで再現されていて、そのまま捨てるのは勿体無い、これを使おう、という気になってきた。 だるまやのパワートラックセットを取り付けるために必要なスペースを調べると、動力台車側は、 床板に、幅15mm、長さ40.5mmの四角の穴をあけ、その両側に、20mm間隔で、2mmφの丸穴をあければよいこと、附随台車側は、 台車中心に5mmφの丸穴をあければよいことがわかった(図1)。ちなみに、図1は、台車中心間の距離が 6120mm(1/80で76.5mm)である、2621号以降の量産車の場合を示している。2620号以前の初期車では、この台車中心間の距離が6160mmであるので、1/80に直して77mm にしなければならない(鉄道史資料保存会刊「大阪市電車輌竣工図集」による)。
作業2(ダミー台車の取り外し)
 動力装置を組み込むためには、まず、床板に固定されているダミーの台車を外さなければならない(写真1)。 しかし、台車は、床板にしっかりと接着されており、車体から床板を外したときのように、簡単に外すことができなかった。そこで、台車の台座の部分を、良くできた台車枠に傷をつけないように注意しながら、模型用の小型ののこぎりで切り取った(写真2)。 そして、床板に残った台座を、ニッパーを食い切りのように使って剥がし取ったあと、床板の表面をヤスリで平らに削って仕上げた(写真3)。 また、床板から切り取った台車枠は、写真4のように、細いランナで左右が繋がれた状態になっており、 いろいろと使えそうに思われたので、捨てずに取っておくことにした(まあ、そのために、最初から、傷をつけないように気をつけて台車枠を切り取った訳ではあるが・・・)。(2005.1.30記す)
(写真1)
2602c.jpg
(写真2)
2602d.jpg
(写真3)
2602e.jpg
(写真4)
2602f.jpg
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市電局技報-技報第1報- [アーカイブ]

技報第1報(2601型の動力化について-第1回-)
1月15日に、ネット書店で予約しておいた、技術評論社の「街の風物詩-路面電車4-大阪市電2600形」が到着した。 期待に胸を膨らませてパッケージを開けたのであるが、開けて中を見たとたん、唸ってしまった(写真1)。 全体に、色が暗すぎるのである。このホームページの冒頭の、タイトル横に掲載している実物(市電保存館の1644号、3050号)の写真を見ても判るように、 大阪市電の、上半部のクリーム色は、もっとピンクがかった明るい色であり、下半分の茶色も、もっと赤みがかった明るい色である。全体のプロポーションが、実物の印象を極めて的確に再現できているだけに、この車体色の違いは残念である。
(写真1)
2602a.jpg
 また、私が入手した製品の車体番号は、2601型のうち、初期車(2601~2620)に属する「2602」であるが、中央扉右の車掌窓が引き違い式になっている車体の特徴は、 2621号以降の量産車ものであり、車体の特徴と番号が矛盾している。この矛盾を解消するには、改番するか、もしくは、初期車の車体の特徴である、車掌窓も、他の窓と同様の バス窓に改造する必要があり、いずれにしろ、私の苦手な塗装をしないといけないことになってしまった。しかし、塗装の問題は後回しにして(日本を蝕んでいる「先送り」というやつである)、 とりあえずは、当初の計画通り、手持ちの動力装置を用いて動力化する作業から始めることにした。 以下に、私が行った手順に従って、動力化の作業を説明する。
作業1(床板の取り外し)
 動力化のためには、まず、ダミーの床板を、車体から取り外さなければならない。車体と床板とは、左右四ケ所のステップの部分でのみ接着されているだけなので、 車体の変形に気を付けながら、手で、車体を左右に広げて接着部分を引き離すようにすれば、意外と簡単に(註1)、床板を取り外すことができる(写真2)。 もしも、接着剤が広がり過ぎていて、手の力だけでは引き剥がすのが難しいとき(その場合は、無理に引き剥がそうとすると、車体が損傷するおそれがある)は、添付の説明書に記載されているように、デザインナイフの先端などで、接着部分の隙間をなぞるようにして分離させる必要があるかも知れない。(2005.1.17記す)
(写真2)
2602b.jpg
註1:その後、他のネット書店で注文しておいた2両目の2601型(今度は2619号であった)が届いたが、床板は、車体の両端部で接着されており、手で車体を左右に広げても、接着を外すことはできなかった。どうも、個々の製品で、組み立て方にばらつきがあるようである。(2005.1.21追記)
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市電局技報 [アーカイブ]

市電局技報
今から15年も昔、16番で大阪市電を造ろうとしていた際に立ち上げたのが、私のホームぺージ「HO道楽室」であり、この「市電局技報」がそもそものホームページの基礎でした。
はじめに
 このページでは、今はなき大阪市電の、16番(1/80)での模型化を目指して、現在、四苦八苦している過程を随時報告する予定である。 今からおよそ10年以上前にも、一時、大阪市電に凝っていたことがあり、久々の再開である。 再開のきっかけは、技術評論社から隔月で刊行されている「街の風物詩」シリーズの、今後の発売予定リストに、大阪市電の2601型が含まれていたことによる。 同車の発売は2005年1月と予告されているため、それを知ったおよそ半年前から、動力装置の手配をはじめた。
 まず、誰でも考え付くのが、だるまやのパワートラックセット(写真1、ブリル77E、ホイルベース20mm、車輪径8.5mm) であるが、同じセットを使った専用の動力化キットが、トラムウエイから発売されると思われ、その際には、上記セットの品不足が予想されるため、あらかじめ、2両分を確保しておいた。
 また、ある模型店のウインドーの奥に眠っていた、古いつぼみ堂(!)製の、元は輸出用のダブルボギーバーニィーカー用と思われる動力装置(写真2)が、ホイルベース19mm、車輪径8.5mmで、適用可能と思われたため、1両分入手した。
 さらに、福町車輌工場跡(註1)で、だるまやの、台車枠なしのパワートラック(写真3、ホイルベース20mm、車輪径8.5mm)や8.5mmの車輪等を発見したので、これも回収して再使用することとした。
(写真1)
daruma01.jpg
(写真2)
tsubomi01.jpg
(写真3)
daruma02.jpg
 この他に、最近、ネットオークションで、上記つぼみ堂製の動力装置と、だるまやの、台車枠なしのパワートラックが出されたが、これらの落札には失敗した(残念である)。
 また、ビューゲルは、福町車輌工場跡でカワイ製の3両分を発見して回収したが、将来的には、架線集電化することを目論んでおり(カワイ製は不可)、集電可能な工房汽笛製1両分と、 奄美屋製1両分とを入手して、現在、比較検討中である。(2005.1.10記す)

註1:ジャンクボックスのこと。かつて、大阪市電に凝っていた際に入手したパーツ類が、実態は把握していないが、同工場跡内に多数、残っているものと思われる。呼称の理由は、RM LIBRARY49「全盛期の大阪市電-戦後を駆けた車輌たち-」第10頁「4.車輌工場」を参照されたい。

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パシフィック231 (その4) [アーカイブ]

 SNCFの蒸気機関車の塗色について検討する。手許の資料:PEINTURE DES LOCOMOTIVES A VAPEURET TENDERS (1961.4.27)によると、SNCFの蒸気機関車の正式な塗色は下記の通り。
機関車上回り
 煙室、煙室扉、煙突、ランボード(煙室横および前面)、キャブ屋根、デフレクタ(内面):黒
 ボイラ、キャブ、ランボード、デフレクタ(外面)、コンプレッサ等:緑
機関車下回り
 台枠、スポーク、シリンダ(内側)、バッファ基部:黒
 タイヤ:白
 輪芯、バッファ前面:磨き出し
 シリンダ(外側)、梯子:緑
 前梁:赤
テンダ
 本体:緑
 炭庫、梯子、手すり、台車:黒
 タイヤ:白
 また、機関車のキャブ、ランボード、デフレクタ、シリンダ(外側)、およびテンダの本体にライニングを入れ、さらにボイラバンドを磨き出すか、もしくはボイラバンドにもライニングを入れるのが一般的である。 ところが、手許の3両の機関車は、2-231Kのみ緑で、2-231E、141Rは全体が黒であって規定に反している。また緑色の2-231Kも、デフレクタ外面は黒であって規定を満足していない。 さらにフランスの蒸気機関車が最後まで守り続けたライニングの色も、2-231Eは黄色であるのに対し、2-231K、141Rは赤とばらばらである。これはどうしたことだろうか。
(2007.12.22記す)
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パシフィック231 (その3) [アーカイブ]

 SNCFの蒸気機関車の形式について、さらに説明する。先にシャプロンパシの例を紹介したが、統合前の各鉄道間で車輌を譲渡したりすることは他にもあったようで、 例えばハリウッド映画「オリエント急行殺人事件(Murder on the Orient express)」においてオリエント急行を牽引したことで有名な旧POのテンホイラー(のちの南西管理局の4-230G)は、NORDおよびETATにも所属しており、 統合後に、それぞれ2-230Gおよび3-230Kという形式が付されている(当時仏領であったモロッコに送られたものもあるらしい)。また、第一次世界大戦の戦時賠償によってフランスに流入した旧プロイセンのテンホイラーP8は、 東管理局の1-230Fと北管理局の2-230Cになっている。
 PLMのパシについて
 旧PLMのパシの多くは、統合前の1934年頃から、統合後の1949年にかけて近代化改装が行われ、改装の仕様の違いによって231G、231Hおよび231Kに分類された。 そして、他局に先行した南東管理局の電化の進行に伴って各局に転属して行ったのであるが、その際に形式の変更は行われなかった。つまりこれらの機関車は、統合後に新製された制式機関車と同様に扱われ、 管理局番号は、純粋に、所属管理局を示すだけの記号となったのである。各形式の所属は下記の通り。
 231G:東(1)、北(2)、南西(4)、南東(5)、地中海(6)
 231H:南東(5)、地中海(6)
 231K:東(1)、北(2)
 ちなみに形式記号のアルファベットは、単純にAから順に付けられた訳ではない。"I(アイ)"および"J(ジェイ)"は"1(いち)"と見間違えやすいため欠番とされた。そのため、上のPLMパシの例でいえば231Hの次は231Kであり、 間に形式の抜けはないのである。また、統合後の制式機関車は"P"から始まっているが、"T"はタンク式機関車を表す記号であるため欠番とされている。(2007.12.22記す)
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パシフィック231 (その2) [アーカイブ]

 SNCFの蒸気機関車の形式について説明する。SNCFにおける蒸気機関車の形式の付け方は、周知のように軸配置を基本としている。例えばパシ(先軸2軸、動軸3軸、従軸1軸)であれば「231」、ミカドであれば「141」、 デカポットであれば「150」といった具合である。そして、同じ軸配置の2種以上の機関車を231A、231B…という風にアルファベットを付けて分類しているというのが、一般的な理解であると思われるが、 SNCFの母体となった旧5大鉄道の機関車については、それだけでは不十分である。
 1938年に旧5大鉄道が統合されてSNCFが発足した際、上の法則に則って、その時点で各鉄道に所属していた機関車を、それぞれの鉄道を受け継いだ管理局ごと(!!)に、アルファベットを付けて分類したのである。 そのため各管理局ごとに、例えば231Aという全く違う機関車が存在することになったのである。
 231Aを例にとって更に説明すると、旧POに相当する南西(SUD-OUEST)管理局の231Aは、POの技師長であったA.シャプロンの手になる改造よって性能が飛躍的に向上したことで有名な、 いわゆるシャプロンパシの改造のネタになった古いパシのうち、統合時までに改造されずに残っていた機関車を指し、旧ETATに相当する西(OUEST)管理局の231Aは、 第一次世界大戦の戦時賠償によってフランスに持ち込まれた旧バイエルン王立鉄道のS3/6型および旧ヴュルテンベルク王立鉄道のC型を指す。また、その他の管理局では、 それぞれの旧鉄道時代に製造され、統合時に残っていた一番古いパシに231Aの形式が付けられている。そのため、どの管理局の231Aであるかを明確にしないと、目的とする機関車を特定できないのである。
 その特定のためには、各管理局ごとに付された管理局番号を明記する必要がある。機関車の前梁に、四角の枠つきで記載されたあの番号である。管理局番号は下記のとおり。
 1:東(EST)管理局(旧EST鉄道)
 2:北(NORD)管理局(旧NORD鉄道)
 3:西(OUEST)管理局(旧ETAT鉄道)
 4:南西(SUD-OUEST)管理局(旧PO-MIDI鉄道)
 5:南東(SUD-EST)管理局(旧PLM鉄道)
 6:地中海(MEDITERRANEE)管理局(旧PLM鉄道)
 例えばシャプロンパシのうち、1960年代後半までFleche D'orを牽引する等して活躍した231Eは北管理局に属する機関車であるため、 (その1)で記載したように2-231Eと標記する必要がある。単に231Eとしただけでは、他の管理局の、全く違う機関車が出てくる可能性があるのである。 ちなみにシャプロンパシは、NORDおよび本家のPOだけでなくESTでも採用されており、POのものは、改造の仕様の違いによって4-231Fおよび4-231Hに分類され、 ESTのものは1-231Cという形式が付されている。(2007.12.13記す)
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パシフィック231 [アーカイブ]

HO道楽室のこのページは、当ブログのBR極東局
https://ho-blog.blog.ss-blog.jp/2012-06-09
に繋がります。

パシフィック231 (その1)
 鉄道関係で、大阪市電と並んで好きなのが第三軌条方式の地下鉄と、そしてフランスの蒸気機関車、特にパシフィックである(脈絡がない^_^;)。 もっとも、パシフィック型の機関車(パシ)は国を問わず好みとする傾向があり、例えばドイツであれば、制式機関車では01のワーグナーデフ付き(それも、戦後東独でワーグナーデフの後半を切り詰めたタイプ)、 レンダーバーネンの機関車ではバーデンのIVh(183)あたり、イギリスではグレスレーのパシ、日本ではC51(特に鷹取工場仕様の前面傾斜デッキと長めのデフを付けたタイプ、 中でもパイプ煙突を付けたC517号機-プロイセンかザクセンの機関車のように見える-)、それにC53などは大好きな機関車である。しかし、なんといってもフランスのパシの個性は光っている。
 フランス国鉄(SNCF)は、それぞれ独自の路線を展開した5つの鉄道会社〔EST(東部)、NORD(北部)、ETAT(官設、もとOUEST-西部-)、PO-MIDI(パリ-オルレアン-南部)、PLM(パリ-リヨン-地中海)の各鉄道〕が、 1938年に統合されて成立したのであるが、それまでに各鉄道で作られた、特に1920年代以降の機関車の多くは、イギリス、ドイツ、日本、アメリカ等の機関車とは、ひと味もふた味も違った個性的な外観と、 優れた性能とを兼ね備えていた。
 そんなフランスの蒸気機関車であるが、現在、模型にはあまり恵まれていない。フランスの蒸気機関車をHOのマスプロ製品として販売していたJouefとRivarossiが倒産し、両社を引き受けたLimaも倒産してしまったためである。 現在、この三社とNゲージのArnoldを英国のHornbyが引き受けて、Hornby Internationalとして製品を出し続けてはいるが、往時の隆盛は見る影もない。
 いずれフランスのパシとワゴンリの客車、それにSNCFの客車を集めてFleche d'Or、Night Ferry等の有名列車を再現しようと考えていた私は、慌てて色々探し回ってみたが後の祭りであり、新車は既になく、中古で 下記の3両の機関車を入手できただけである。
 (1) 2-231E(Rivarossi)
 (2) 2-231K(Jouef)
 (3) 141R(Jouef)
 このうち(1)の2-231Eはネットオークションで入手したもので、3両の中では最も状態がよかったが、それでも、経年変化によってランボードがへろへろになっている上、ヘッドライトのカバーが、 電球の熱によって変形していた。また(2)の2-231Kは、知り合いの模型屋さんのウインドウに長年(おそらく10年以上)に亘って展示用として飾られていたものを、無理に頼み込んで、 ジャンク価格で譲ってもらったもので、西日が当たるウインドウに長い間おかれていた所為か、キャブと火室の付近が大きく歪んでしまっていた。さらに(3)の141Rは、中古品専門の模型屋さんから入手したもので、 転落事故にでも遭ったものか、片側のデフと、その内側の梯子が折れていた。この3両を並べてみると、まるで第二次大戦直後の、フランスのどこかの機関区の荒廃した様子を再現したようでもある(ただし141Rは、 戦後復興のため米国から輸入された機関車であるため、その当時は新車でなければならないはずであるが・・・)。今後、この3両を修復して、使えるようにしてゆく計画である。(2007.12.2記す)
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略1/87ミニカーの世界(その14) [アーカイブ]

(14)  様々な外車-アメリカ車編-
 ヨーロッパ車編に続いて、日本で見られたアメリカ車を紹介する。

(14-1) フォードV8
fordV8.jpg
 1940年式のフォードV8セダン。アメリカJordan Products社製のプラキットを組み立てたもの。入手先が思い出せないほど昔から手許にある。 しかしこのキットは今もWalthersで入手可能である。写真が後ろ姿なのは前のバンパーがいつの間にか無くなってしまったため。 (2009.1.17記す)

(14-2) シボレーベルエア
belair.jpg
 アメリカMonogram社が1989年に発売した1957年式のシボレーベルエア。これも入手先が思い出せない。 いかにも戦後のアメリカ車らしいスタイルが好まれるのか、この前後の年式のベルエアは今も複数のメーカーから製品が出されている。 (2009.1.17記す)

(14-3) フォードマーキュリークーペ
merc1.jpg
 今はWalthersの傘下となってしまったLife-Like社製の"1950's American Coupe"は、一応フリーランスと言うことにはなっているが、 ご覧のとおり1950年前後の年式のFord MercuryCoupeであろう。 緑、青、黒、白の色違い4台がワンセットになっている。
 古くから乗用車を個人の移動用として使ってきたアメリカでは2ドアクーペが一般的であったため、 色違いが4台一度に来ても困らないだろうが、昔の日本では特にアメ車は運転手付の公用車、社用車、 あるいはハイヤー等に主に使用されてきたため4ドアセダンの方が多かったように思われる。 2ドアクーペの4台セットはいささか多すぎる。写真
merc2.jpg
のように床がない簡易な造りで値段は安かったが…。 (2009.4.19記す)

(14-4) ウィリスジープ
jeep.jpg
 オーストリアの鉄道模型メーカーであるロコ社は、前身であるレーヴァ社の時代から、 プラスチックでどこまで実物を再現できるかということに挑み続けてきたようなところがある。 それが禍してか、これまでも再三、破綻の危機に陥ってきた。
 今回、何度目かになる危機に直面して、1/87で精巧な軍用自動車等を作り続けてきたminitanks部門を手放すことになったらしく、 ここで紹介するウィリスジープをはじめとするminitankシリーズの軍用自動車は、ここしばらく入手困難の状態が続いていた。 しかし同部門を手に入れたHerpa社から、最近になって同社の新たなシリーズとしてこれら車両群の販売が再開された。 まずは一安心である。(2009.4.19記す)
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