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再び京阪梅田線(その3) [夢のあと]

 鉄道省は、城東線の高架新線を建設後に旧線を廃止して、その土地を京阪に明け渡すはずでした。しかし1923(大正12)年に関東大震災が発生すると、震災で壊滅した首都圏の鉄道網の復興が優先されて城東線の新線建設は後回しになり、城東線は旧線のまま維持されて、京阪は梅田線の建設を開始できなくなってしまいます。
 また、京阪と鉄道省が無断で契約を交わしたことに大阪市議会が異議を唱え、京阪社長の岡崎邦輔が衆議院議員であったことから、この問題は最終的には帝国議会にまで波及します。
 鉄道省が調停に入り、特許の条件に大阪市内の高架化もしくは地下化を義務づける、つまり城東線旧線そのままでの転用は認めないという条件を加えることで大阪市は引き下がりますが、これらの問題によって建設が遅れているうちに、1927(昭和2)年には昭和金融恐慌、そして1930(昭和5)年以降は世界恐慌の影響で業績が悪化して、京阪は梅田線の建設を断念せざるを得なくなってしまいます。
 結果、京阪梅田線も、箕有野江線と同じく「まぼろしの消えゆく様に消え」てしまいました。
 その後、京阪が天満橋から淀屋橋まで路線を延長して念願の都心部への進出を果たすのは1963(昭和38)年、開業から実に半世紀後のことでした。しかもこの淀屋橋乗り入れだけでは、京阪の都心部進出への執念は完全には昇華されていなかったようで、さらにその半世紀後の2008(平成20)年には、地下鉄御堂筋線の物理的、経済的、精神的な壁を突破して中之島線を開通させています。
http://ho-blog.blog.so-net.ne.jp/2008-11-16
 ただ、京阪の執念が強すぎたのか、中之島線は都心を突き抜けてしまっており、今や京阪の経営の重荷となっています。今後、さらに西進してユニバーサルスタジオジャパンに達するか、あるいは阪神なんば線と接続することも検討されているようですが、自社単独では建設が困難なことも表明されており、今後の進展が注目されます。

大阪・京都・神戸私鉄駅物語―写真・資料でたどるターミナル駅の変遷 (JTBキャンブックス)

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  • 発売日: 2005/10
  • メディア: 単行本


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コメント 1

hideta-o

schnitzerさま
ネオ・アッキーさま
ワンモアさま
nice!ありがとうございます。
by hideta-o (2016-08-25 22:13) 

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