箕有野江線から再び京阪梅田線 [夢のあと]
先にご紹介した「私の行き方」
の「・・・小胆からのことだ。」に続いて小林は、京阪の梅田線について以下のように記載しています。
「見給え、今日新京阪が梅田に進出するのにどんな苦労をしているか。城東線を買収して、既に四百万円は出しているが、あれを完成するには一千万円はかかる。殆どただで取れた権利に一千万円投げ出さねばならぬようになったのも言わば運命だが・・・」「まあ、話はこれ位にしよう。それにしても梅田駅の改築の竣工も長いことではないが、あの新しい梅田駅前の広場を、阪急がただ一人巍然として占拠するのかと思うと、なんと言ってよいか、全く正直な話が、私は嬉しくてたまらない、大阪一の花形勝地域だから。」
この本が発行されたのは1935(昭和10)年。昭和に入って相次いだ恐慌によって京阪の経営が悪化して、梅田線の建設を断念せざるを得なくなったすぐあとで、なおかつ阪急神戸線の三宮までの高架が完成する直前の時期です。そのため上の記載は、京阪そして阪神に対する小林の勝利宣言といえるかもしれません。
昔も今も、小林一三ほど自分と自分の会社、そしてそれを取り巻く世の中の状況をその都度、著作として発表してきた企業経営者はないでしょう。そのお陰で後世の我々は、その当時の特に関西経済界の動向を知ることができるのですが、考えてみればそれは、小林の側から見た一方的な見解でしかありません。
ところが京阪梅田線に関しては、京阪側がどう考えていたかを窺い知ることができる資料があります。
の「・・・小胆からのことだ。」に続いて小林は、京阪の梅田線について以下のように記載しています。
「見給え、今日新京阪が梅田に進出するのにどんな苦労をしているか。城東線を買収して、既に四百万円は出しているが、あれを完成するには一千万円はかかる。殆どただで取れた権利に一千万円投げ出さねばならぬようになったのも言わば運命だが・・・」「まあ、話はこれ位にしよう。それにしても梅田駅の改築の竣工も長いことではないが、あの新しい梅田駅前の広場を、阪急がただ一人巍然として占拠するのかと思うと、なんと言ってよいか、全く正直な話が、私は嬉しくてたまらない、大阪一の花形勝地域だから。」
この本が発行されたのは1935(昭和10)年。昭和に入って相次いだ恐慌によって京阪の経営が悪化して、梅田線の建設を断念せざるを得なくなったすぐあとで、なおかつ阪急神戸線の三宮までの高架が完成する直前の時期です。そのため上の記載は、京阪そして阪神に対する小林の勝利宣言といえるかもしれません。
昔も今も、小林一三ほど自分と自分の会社、そしてそれを取り巻く世の中の状況をその都度、著作として発表してきた企業経営者はないでしょう。そのお陰で後世の我々は、その当時の特に関西経済界の動向を知ることができるのですが、考えてみればそれは、小林の側から見た一方的な見解でしかありません。
ところが京阪梅田線に関しては、京阪側がどう考えていたかを窺い知ることができる資料があります。
2016-08-17 20:03
nice!(6)
コメント(3)
ネオ・アッキーさま
schnitzerさま
ワンモアさま
ぼんぼちぼちぼちさま
nice!ありがとうございます。
by hideta-o (2016-08-20 11:28)
Cedarさま
nice!ありがとうございます。
by hideta-o (2016-08-20 12:20)
FTドルフィンさま
nice!ありがとうございます。
by hideta-o (2016-09-18 09:55)