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箕有野江線(その8) [夢のあと]


逸翁自叙伝 阪急創業者・小林一三の回想 (講談社学術文庫)

逸翁自叙伝 阪急創業者・小林一三の回想 (講談社学術文庫)

  • 作者: 小林 一三
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/04/12
  • メディア: 文庫


 箕有野江線の特許に関連して小林一三、松永安左エ門から未公開株を受け取ったのは、
いずれも大阪市会議員だった松村敏夫、七里清介、天川三蔵の三人。小林によれば大阪市のタマニー派。ちなみに語源となった「タマニー・ホール」は、19世紀から20世紀にかけてニューヨークの市政に多大な影響力を及ぼした政治勢力で、買収、汚職などを常とした一団です。
 大阪市政の刷新、綱紀粛正のための捜査が当局によって行われた結果、数ある事件の1つとして小林、松永の案件が浮上したようです。
 収賄側の三人のうち七里は造船業で身を起こし、大阪電気軌道の創設にも係わるなど、まずは真っ当な実業家と言えますが、天川は、松島遊郭を牛耳っていたり、興行を仕切ったりといった裏の顔が垣間見える人物だった様子。
 これに対し松村は、東京帝国大学出身で弁護士、府会議員、市会議員を務め、市会では助役に推薦されるなどしています。エリートと言えるでしょう。1906年には、渋沢栄一を団長とする財界人の訪米団に、土居通夫とともに大阪代表として参加しています。
 しかし松村は、傀儡である市長に代わって助役として市政を事実上、牛耳っていたようで、いわばタマニ—派の首魁でもあったようです。
 小林は松村の逮捕について、自著「逸翁自叙伝」の中で、優秀な人材の前途を棒に振らせたことを残念がっています。
 ところが助役を辞任した後も、松村は大阪電気軌道の経営に係わったり、関西大学の運営などに関与したりしており、同大学では、大学を築いた人々の一人に挙げられています。別に前途を棒に振ったわけではなさそうです。 
http://www.kansai-u.ac.jp/nenshi/people/detail.php?cd=98&TB_iframe=true&width=550&height=310
nice!(6)  コメント(3) 

nice! 6

コメント 3

hideta-o

DorakenBeginnerさま
nice!ありがとうございます。
by hideta-o (2016-08-12 22:21) 

hideta-o

ワンモアさま
schnizerさま
ネオ・アッキーさま
nice!ありがとうございます。
by hideta-o (2016-08-15 20:34) 

hideta-o

Cedarさま
ありささま
nice!ありがとうございます。
by hideta-o (2016-08-15 20:35) 

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