SSブログ

箕有野江線(その5) [夢のあと]

 梅田-天六間は市バスが走っていないため地下鉄に乗りましたが、天六から先は、市バスに乗って景色を見ながら移動することに。大阪市バスの多くの路線は、日中は1時間あたり1本程度しか設定されておらず、公共交通機関としては殆ど死に体の状態ですが、この天六-都島間は日中でも1時間あたり3〜4本の便があるため、途中下車しながら移動でき、探索には便利です。
 まずは都島橋で下車。
kinoe23.JPG
 大川(旧淀川)に架かる都島橋は、1922(大正11)年の市電梅田善源寺町線の開通時に木鉄橋として架橋され、1937(昭和12)年に仮橋、1956(昭和31)年に鉄橋に架け替えられたあと、さらに拡幅されて現在に至っています。
kinoe24.JPG
 橋上から大川の下流方向、およそ450m南には、京阪梅田線の際に訪れた桜ノ宮駅すぐの淀川橋梁が見えます。
kinoe25.JPG
 都島橋を渡った大川左岸の河川敷(桜ノ宮公園)には「大阪市水道発祥之地」の石碑。
kinoe26.JPG
 現在、この石碑の東側には、大規模団地の桜ノ宮リバーシティ
kinoe27.JPG
kinoe31.JPG
大阪市都島センタービル
kinoe28.JPG
そして大阪市立総合医療センター
kinoe29.JPG
が並んでいますが、これらの施設が建つ広大な敷地は、かつて1895(明治28)年に大阪市の上水道施設として最初に開設された桜ノ宮水源地の跡地です。都島橋を渡ると都島通は大きな下り勾配になっており、この辺りが貯水に適した低地であることが判ります。
 しかし1913(大正3)年に柴島に新しい水源地が開設されると、桜ノ宮水源地は廃止され、その跡地には市電および都島通の開通と前後して、鉄道省の淀川貨物駅と市電の都島車庫が開設されました。さらに1932(昭和7)年には片町線、城東線の電化に伴って淀川電車区も開設されましたが、いずれも今はなく、上記のような施設の並ぶ都島区の中心地区になっています。
 大阪市都島センタービル前の停留所から、再びバスに乗って都島本通りへ向かいます。
kinoe30.JPG

大阪市電―路面電車66年の記録

大阪市電―路面電車66年の記録

  • 作者: 鉄道史資料保存会
  • 出版社/メーカー: 鉄道史資料保存会
  • 発売日: 1980/09
  • メディア: 単行本



nice!(1)  コメント(1) 

nice! 1

コメント 1

hideta-o

ワンモアさま
nice!ありがとうございます。
by hideta-o (2016-08-05 23:22) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

箕有野江線(その4)箕有野江線(その6) ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。