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京阪(その1) [大ターミナル主義]

京阪電鉄
 京阪は、関西の五大私鉄の中で唯一、大ターミナル主義を採用していない。
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近鉄上本町 [大ターミナル主義]

 近畿日本鉄道 大阪上本町駅
 1970年に奈良線が地下に潜って難波線と直通するまで、この駅は近鉄最大のターミナルであった。(奈良線地下ホーム)
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 現在も、大阪線はこの駅を終端としており、大阪線用の地上部分は7面6線10連対応の巨大駅であるが、この駅には、阪急梅田駅で感じた意図的にコントロールされた静けさとは異なる、言ってみれば寂しさのようなものが漂っている。(大阪線地上ホーム)
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 この原因は、ひとえに利用客の少なさによる。駅周辺がキタ、ミナミ、あるいはアベノのような繁華街ではなく、この駅で改札口を出る乗客が少ない上、大阪線から奈良線、難波線に乗り換える乗客(その逆も)の多くは、この駅ではなく一つ東側の鶴橋駅を利用するためである。そのため大阪線ホームは、あたかも折り返し電車の留置線の様相を呈している。
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 かといって近鉄が上本町開発を怠っているわけではない。駅ビルには、少し小さいが上本町近鉄百貨店が入店しているし、駅ビルの東側にはシェラトン都ホテル大阪、南側には、先日こけら落としを迎えた新歌舞伎座と、ほぼ同時に開業した商業ビル 上本町YUFURAが並んでいる。
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 しかし、さすがの近鉄と言えど1社だけではキタ、ミナミ、あるいはアベノに対抗しうる繁華街を作り上げるのは困難であろう。

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南海なんば [大ターミナル主義]

 南海電気鉄道 なんば駅
 御堂筋の南の突き当たりに位置し、御堂筋北端の阪急梅田駅と好一対をなしているのが、関西私鉄の大ターミナル主義を象徴する壮麗な駅ビルを擁する南海なんば駅である。
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 南海本線、高野線合わせて9面8線、10連対応の駅は、その大きさとともに、かつて駅西側にあった大阪球場を避けて駅導入部が曲線を描くように建設されていることもあり、全体像を1枚の写真に収めるのが難しい。今回もチャレンジしてみたが、うまく行かなかった。
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  先に、この南海なんば駅が阪急梅田駅と好一対をなすと書いたが、実はミナミの代表として、キタの3駅(阪急梅田駅、阪神梅田駅、JR大阪駅)の全てに対峙する存在なのかもしれない。
 例えば1964(昭和39)年には、南海ホークスと阪神タイガースとの間で日本シリーズが戦われ、それに勝利した南海ホークスが、阪神梅田駅前から南海なんば駅前まで、御堂筋を優勝パレードしている。
 またキタのJR大阪駅に対するミナミの南海なんば駅を、南北の位置関係こそ逆であるが、New YorkのPennsylvania鉄道 (PRR) Pennsylvania駅に対するNew York Central鉄道(NYC) Grand Central駅に比定できるようにも思われる。
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 そして南海なんば駅には、NYCのフラグシップトレインたる20th Century Ltd.の牽引機として名高いJ3a型ハドソンに良く似た前頭部を持つ特急ラピートが、日々発着しているのである。
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阪神、阪急三宮 [大ターミナル主義]

 阪神、阪急の三宮駅を取材するために神戸へ行ってきた。まず阪和線、環状線を乗り継いで西九条へ。西九条で阪神なんば線各停の近鉄電車に乗り尼崎。尼崎で阪神本線の山陽姫路行きの山陽電車に乗り換えて三宮駅に到着した(阪神電車に乗ってないっ!)。
 阪神電気鉄道 三宮駅
 阪神は、梅田と前後して三宮にも地下ターミナルを建設した。路線の両端部がともに地下線というのは、近鉄が1969年に難波線を延長したのち翌年に奈良駅を地下化するまで、日本全国でも長らくこの阪神本線だけであった。
 ただし開業後すぐに1駅先の元町まで路線が延長されたため、三宮がターミナルであった期間は短かった。本来は4面3線の頭端式であったが、そのうち北側の2線が元町まで延長された。
 残った南側の1線(写真右)は長らく冷遇されてきたが、阪神なんば線の開業に伴って近鉄直通の快速急行の折り返しに使用されることになり、久々に脚光を浴びることとなった。
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 しかしホーム長が限られていること、急カーブの分岐および渡り線を通過しなければならないことが災いして駅全体が改造されることになり、現在その工事中である。
 改造後の完成予想図
http://holdings.hankyu-hanshin.co.jp/ir/data/SR200709252N2.pdf
を見ると2面3線で真ん中の1線を行き止まり式の快速急行折り返し用ホームとし、両側の2線を元町方面への直通線とするらしいが、この真ん中の1線を完全に行き止まり式としている点に、ここから西への近鉄の直通を阻止しようとする阪神の意思が見え隠れしているように思えてならない。
 そごう百貨店が営業している駅ビルは、改装および増築されているものの基本的には開業当時のままである。
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 次に阪急三宮に向かった。
 阪急電鉄 三宮駅
 神戸三宮のシンボルの一つであった阪急神戸ビルが阪神大震災によって被災し、取り壊されてから久しいが、今も震災後に建てられた仮設の建物で営業が続けられている。阪急は三宮駅の地下化を望んでおり、ここに新しい駅ビルを建設する予定はないらしい。
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 駅自体は2面3線とやや小ぶりであるが、神戸高速鉄道と直通する前は阪急神戸線の西のターミナルとして機能していた。そしてここには、駅を覆うドーム状の大鉄傘が、震災を生き抜いて今も健在である。
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 帰りは阪急電車に乗り、十三で途中下車して「阪急そば」できつねそばを食べたのち梅田へ。梅田で阪急梅田駅の記事
http://ho-blog.blog.so-net.ne.jp/2010-07-19
に追加する写真を撮影したのち、環状線経由で帰路についた。
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新京阪天神橋 [大ターミナル主義]

 新京阪鉄道 天神橋駅
 天神橋筋6丁目交差点の北東角に長らく姿を留めていた新京阪鉄道の天神橋駅ビル(天六阪急ビル)の取り壊しが遂に始まった。先日訪れた際には既に全体に工事用の覆いが掛けられており、ビルの姿を見ることは出来なくなってしまっていた(もう少し早く来れば良かった)。
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 覆いが掛けられる前のビルの写真はこちら。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E6%A9%8B%E7%AD%8B%E5%85%AD%E4%B8%81%E7%9B%AE%E9%A7%85#.E6.AD.B4.E5.8F.B2
 また天神橋駅の詳細はこちら。
http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-270.html
 天神橋駅は、新京阪鉄道の大阪のターミナルとして、このビルの後ろ側(北側)に2面4線の旅客ホームと1面1線の貨物ホームを有する高架駅として開業。地下鉄堺筋線との直通が開始されるまでこの場所で営業していたが、今は堺筋線と共用の1面2線の地下駅になっている。
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阪神梅田 [大ターミナル主義]

 阪神電気鉄道 梅田駅
 阪急、JRの巨大駅に対して、阪神は梅田の地下2階に5面4線という開設当時は地下駅として最大規模の駅を造り上げた。
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 こちらの駅は、梅田からの地下線が付け替えられたこと、阪神百貨店の外装が新しくされたこと以外、基本的に大きな変化はなく、昔ながらの風情を残している。駅コンコースのジューススタンドのミックスジュースも、地下1階のイカ焼きも昔のままである。
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 今、阪神電車を利用する乗客の殆どは梅田を四通八達する地下街に流れていってしまうため閑散としているが、実は阪神百貨店1階東端には、駅へ通じる正面玄関ホールが残されている。
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阪急梅田 [大ターミナル主義]

 阪急電鉄 梅田駅
 言わずと知れた大ターミナル主義の総本山である。1973(昭和48)年に完成した10面9線、10両編成対応の新駅は、その大きさにも拘らず、いつも、雑然とした「駅」というもののイメージからはほど遠い静けさに包まれている。この静けさは、この駅のコンセプトとして、構内放送を出来るだけ少なくする等して意図的に作り出されているらしい。
 旧駅のような大鉄傘が再現されなかった点は寂しい限りであるが、土地の有効利用を考えれば仕方がない。
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 建て替え工事中の阪急うめだ本店は、漸く御堂筋に面する南側の工事が終了したところであるが、でき上がった南面の、特に建て替え前の旧館をイメージしたスチームパンクな外観を見せる低層階の百貨店部分には、何とも言い難い迫力がある。
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 これも現在建設中のJR大阪駅の大屋根(下の写真)とともに、キタの新しいシンボルとなるのであろう(個人的には、出来れば高層階も含めて全館、スチームパンクで通して欲しかったが・・・)。
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 しかしたまに梅田に行くと、いつも変化の大きさに戸惑ってしまう。大阪のその他の地区を置き去りにして、一人キタだけがどんどん進化しているように思えてならない。
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近鉄阿部野橋 [大ターミナル主義]

近鉄南大阪線 大阪阿部野橋駅
 南河内を走る地方鉄道に過ぎなかった河南鉄道が一大飛躍を目指して社名を大阪鉄道と改め、現在の南大阪線の西側部分にあたる新線を建設して阿部野橋に達したのは1923年である。1937年には同地に大鉄百貨店を開設している。
 つい先日、建て替えのために閉館された近鉄百貨店阿倍野店旧館は、外観および内装こそ新館と揃えるために改装されていたものの、構造体自体は開業当時の古い大鉄百貨店そのものであった。三越高麗橋、そごう心斎橋、梅田阪急に続いて古い百貨店建築が立て替えられるのは、時代の趨勢とはいえさびしい限りである。

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(閉館された近鉄百貨店旧館)

 小学校の2年生まで近くの阿倍野区文の里に住んでいたため、近鉄百貨店阿倍野店にはよく連れて行ってもらった。母と一緒のときは文の里から南海平野線、昭和町から地下鉄御堂筋線、または美章園から国鉄阪和線のどれかに乗せてもらえたが、父と一緒のときは歩かされた(不活発で家にばかりいるわが子を心配してのことであろうが)。近鉄に乗った記憶はない。近鉄南大阪線の河堀口駅が家から最も離れていた所為であろう。
 南大阪線は1987年に大阪市内の連続立体交差化が完成したが、阿部野橋駅自体は昔のまま地上に残された。そのため南大阪線の電車は駅を出るとすぐに急勾配を上り、高架化される以前は下を潜っていた阪和線の高架のさらに上を跨いで地上4階に位置する河堀口駅に達することとなった。この付近の高架構造や、あるいは奈良線、大阪線の布施駅付近の高架構造の壮大さを見るにつけ、近鉄の企業規模の大きさを思い知らされる。

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(上が近鉄南大阪線の高架。下が阪和線高架のガーダー橋。かつてこのガーダー橋の下を南大阪線が潜っていた。)

 高架化以前には、阿部野橋駅を出てすぐのところに踏切があり、その踏切上から駅構内の様子が手に取るように見えたものであるが、もとの踏切に通じていた道(庚申街道)は、今も自転車が通行可能なスロープ付きの地下道として残されている。庚申街道についてはhttp://ho-blog.blog.so-net.ne.jp/2009-03-27も参照されたい。

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 駅自体は、近鉄百貨店新館の建設時に建物内に取り込まれ、また旧館取り壊しの準備として線路終端およびコンコースが河堀口側に移設される等、大きく様変わりしてきたが、今も6面5線、櫛型ホーム頭端式の大ターミナルであることに変わりはない。旧館のあとには地上40階建の巨大タワーを建設するという。近鉄の大ターミナル主義は健在である。

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(旧館下の旧コンコース)

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(移設された線路終端部)
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阪和天王寺 [大ターミナル主義]

JR阪和線天王寺駅
 私鉄ターミナルを紹介するこのコーナーの初回に、あえてJRの駅を選んだのには理由がある。写真をご覧頂きたい。大阪市内に残る唯一の大鉄傘である。

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 阪和線の天王寺駅は、よく知られているように元々は私鉄の阪和電気鉄道の手によって開業された暦とした私鉄ターミナルの一つであり、南海山手線天王寺駅となった後、国有化されて国鉄天王寺駅の一部となったため、早くに大ターミナル主義から外れてしまった。そのため天王寺駅の改良は小規模に留まり、今もこの大屋根が残っているという次第。もともとのガラス張りはその後の改修でスレートとプラスチックの波板になってしまったが、大鉄傘を支える鉄骨構造は今も健在である。

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 かつての天王寺駅は、美章園寄りの降車ホームと終端の乗車ホームとに分かれ、和歌山方面から到着した電車は一旦、手前の降車ホームで停車して乗客を降ろした後、乗車ホームに進入して乗客を乗せるという特殊な構造を有していた。同様の構造を有するターミナルとしては、他に大軌(近鉄)奈良線上本町駅、京阪天満橋駅があった。
 降車ホームで降りた乗客は地下道を通って駅外へ導かれた。その地下道も現存している。今は駅の南北を繋ぐ一般通路として利用されている。

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 また6番ホームの下には部屋があるらしく、明かり取りの窓が並んでいる。この窓も、その古風な造りからすると阪和天王寺駅の遺構と思われる。

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 現在の阪和線天王寺駅は5面5線の櫛型ホーム頭端式で、今もターミナルとしての立派な陣容を備えている。しかし最近は、駅東側にできた関西線との短絡線を通って大阪環状線に直通する電車が増え、その分、阪和線ホームを発着する電車が少なくなってしまった(特に南紀直通の特急の発着は殆どなくなってしまった)ため、少しさびしくなった。
(訂正)
 降車ホームの地下通路の位置について疑問を感じたためいろいろ調べたところ、紹介した地下通路は、近鉄阿部野橋駅(http://ho-blog.blog.so-net.ne.jp/2009-04-01)のところで紹介した庚申街道に通じる一般通路であることが判明した。降車ホームと通じていた本当の地下通路は、ホームの下を線路と平行に西方向に伸びて、現在の駅前広場に達していたらしい。
 ということは、6番ホームの下に発見した明かり取りの窓の内側に問題の地下通路の跡があるのかもしれない(2008年4月2日記す)。
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大ターミナル主義 [大ターミナル主義]

 関西は私鉄王国であるという。その根拠としてよく取沙汰されるのがターミナルの位置である。すなわち、関東の私鉄のターミナルの多くが旧国鉄山手線の駅に寄り添うように設けられているのに対し、関西の私鉄のターミナルは大阪環状線の駅とは関係ない位置に独立して設けられており、このことが関西の私鉄の「官」つまり鉄道省からの独立性を表しているという主張である(例えば原武史氏著『「民都」大阪対「帝都」東京-思想としての関西私鉄-』講談社選書メチエ133等参照)。
 しかしこの説には賛同しかねる。その理由は次のとおり。
(1) 大阪環状線のもとになった旧国鉄城東線は、そもそも大阪の北のターミナルである大阪駅と、南のターミナルである天王寺駅との連絡のために設けられた単なる連絡線であって、山手線のような都市交通の一端を担う路線ではなく、各私鉄が開通した当時、行政区分は別として城東線の沿線は大阪の郊外であって都市域には入っていなかったこと(都心に達するためには、城東線を超えてさらに深く入り込む必要があった)。
(2) 各私鉄のターミナルはいずれも、現状では確かに独立した位置にあるように見えるが、実のところは悉く大阪市電の主要幹線である上本町線、堺筋線、南北線および東西線と接続する位置に設けられていたこと。
 特に後者のことと、例えば南海上町線、阪神、それに京阪が大阪市から都心部への乗り入れを拒絶されて、上町線は天王寺駅前、阪神は出入橋(のち梅田)、京阪は天満橋という都市部の周縁にターミナルを設けざるを得なかったこと(特に上町線は、既に四天王寺西門前まで乗り入れていたものを天王寺駅前まで後退させられている)等とを併せ考慮すれば、関西の私鉄が、王国を築くどころか、大阪市内では鉄道省とは別の「官」である大阪市の支配下にあったことは明白である。首根っこを抑えられた龍とでも言えばよいか。
 路面電車である市電では力不足ではないかと懸念される向きもあろうが、当時の私鉄の輸送力というものは、それこそ路面電車に毛の生えた程度のもので、単行や2連、あるいは3連程度が普通であった。
 それに対し大阪市電は、他の都市にはない14m級の大型車を多量に揃え、前述した各線に投入していた(14m級と言えば阪神の当時の主力車両と同じ大きさである)。ラッシュ時にこれらの大型車を連発させれば、私鉄のターミナルから吐き出される乗客を短時間で駅前から運び去ることは可能だったであろう。
 それはさておき、各私鉄のターミナルが、関東のように国鉄駅の制約を受けなかったために、あたかも王国の宮殿のような豪壮なものになっていったことも事実である。多数のホームを並べ、地上または高架の駅ではこれらのホームを鉄とガラスでできた大鉄傘で覆い、そのような場所が確保できない場合は地下に壮麗な地下宮を築いた。また隣接して巨大な駅ビルを建設し、多くの場合はそこにデパートを入店させた。しかも多くの私鉄はこれら宮殿の維持に努め、あわよくばさらに巨大化させることを目論んだ。私はこれを大ターミナル主義と呼んでいる。
 このコーナーでは、そうした大ターミナル主義の現状をレポートしたい。



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