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坂の上の…(その22) [艦]

 龍馬フィギュアでもう一つ海軍と関係あるのが「坂本龍馬銅像(1928年)高知桂浜」。
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 高知県の青年有志が募金を集めて昭和3年に建立した銅像であるが、太平洋戦争中の金属供出を免れた陰に海軍の庇護があったという。


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坂の上の…(その21) [艦]

 etsutanさんの最新作「松島」を組み立てた(写真手前。奥は厳島)。
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 松島は、三景艦の1番艦として仏国フォルジ・エ・シャンティエ・ドゥラ・メディテラネ社で竣工。日清戦争では、黄海海戦において鎮遠の主砲弾の直撃を受けるも、初代の連合艦隊旗艦として活躍。日露戦争にも第3艦隊の一員として参加している。
 松島型とも呼ばれる三景艦のいわゆるネームシップであるが、2番艦厳島より遅れて明治25(1892)年に竣工している。写真で見るように松島は、厳島、橋立に比べて何となく艦形がしっくり来ない。この辺りが竣工の遅れた原因ではないかと考えている。
 軍艦に限らず機械物というものは、構造上のバランスや機能に優れているほど実は何となく見た目も格好が良い傾向がある。中には例外もあるが、基本的に「機能美」と言うやつである。
 そういう目で見ると松島は、厳島、橋立とは主砲、副砲の配置を前後逆にしたためにバランスがとりにくそうで、それを克服するため設計、施工に余計に手間がかかったのではないだろうか。
 ただし実戦においては、先に橋立のところで説明したように三景艦はいずれも主砲が使いものにならず、ほぼ副砲のみで戦闘をせざるを得なかったため、副砲を艦の前方に集中配置した松島の方が、逆に後方に配置した厳島、橋立より使い勝手が良かったかも知れない。
 「松島」のデータはこちらからダウンロードできる。
「papercraft etsutan」http://www.geocities.jp/papercraft_etsutan/index.html
「ペパクラギャラリー」http://www.tamasoft.co.jp/pepakura/index.html



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坂の上の…(その20) [艦]

 船に関するもう1つは「海軍操練所練習船「観光丸」(1863年)神戸」である。幕府の軍艦「観光丸」と龍馬のフィギュアがセットになっている。
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 観光丸はオランダの軍艦「スムービング」として嘉永6(1853)年に建造。安政2(1855)年にオランダ王から徳川幕府に贈呈され、長崎海軍伝習所の練習艦として使用された。
 明治維新に際し新政府側に引き渡された後、明治9(1876)年に老朽化により廃船、解体されている。
 その後、当時の設計図と模型を基にオランダ・ハウスデン市のフェロルメ造船所で昭和62(1987)年に復元された新「観光丸」が、長崎のハウステンボスでアトラクションとしてのクルージングに使用されている。
http://www.huistenbosch.co.jp/transport/detail/5060.html



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坂の上の…(その19) [艦]

 セブンイレブンから「海洋堂フィギュアコレクション 坂本龍馬-その生涯の軌跡- フィギュア付きドリンク」が数量限定で発売された。要するにソフトドリンクのオマケで、その中で船に関するものは2つ。
 1つは「黒船来航(1853年)浦賀港」で、黒船のパースモデル(遠近感を強調するためにデフォルメしたモデル)と龍馬のフィギュアのセット。黒船は3本マスト、外輪式の蒸気帆船である。
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 嘉永6(1853)年に浦賀に来航したペリー艦隊の4隻、すなわちサスケハナ、ミシシッピ、プリマス、サラトガのうち、このモデルに当てはまるのは艦隊旗艦のサスケハナのみである。
 ペリーの黒船と言えばこの姿を思い浮かべるが、実はミシシッピはスクリュー式の蒸気帆船で外輪なし、プリマス、サラトガの2隻に至っては蒸気帆船ですらなく単なる帆船であった。江戸の人たちは、よほどサスケハナの姿に驚いたのであろう。



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坂の上の…(その18) [艦]

 龍馬かぶれ
 ソフトバンクモバイルの少し前のCMで、いつもの犬のお父さんと息子が二人旅で高知の桂浜を訪れるとそこに龍馬が。二人が駆けつけるとそれは龍馬の格好をした武田鉄矢さんで、お父さんが一言「なんだ、龍馬かぶれか」というのがあった。
 この一言に妙に感心してしまった。まさに武田鉄矢さんの人生が要約されている。
 しかもこの一言は、実はもう一人の龍馬かぶれのことも示唆しているように思われる。
 ソフトバンクグループ代表の孫正義氏である。
 氏は、高校時代に「竜馬がゆく」を読み、一念発起してアメリカに留学、彼地で学んだ経験を元にソフトバンクを創業されたという経歴の持ち主であり、またソフトバンク社のロゴマークは、龍馬が創った海援隊の旗の赤を黄色に変えたものであるという。筋金入りの龍馬かぶれに違いない。
 ちなみに犬のお父さんの声をされている北大路欣也さんは嘗てNHK大河ドラマ「竜馬がゆく」で主演の坂本竜馬を、また一昨年の「篤姫」では勝海舟を演じられており、武田鉄矢さんは今年の「龍馬伝」で勝海舟をされるという。
 単なる龍馬ブームに乗ったパロディの域を越えた竜馬"濃度"の高いCMである。


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坂の上の…(その17) [艦]

 ところで龍馬であるが、実は帝国海軍を創った人々との因縁が深い。土佐藩を脱藩した龍馬が弟子入りした勝海舟は、維新後も明治新政府から請われて海軍卿を務めた海軍の権威であり、その海舟の下で龍馬が航海術を学んだ幕府の神戸海軍操練所では、後の日清戦争で連合艦隊司令長官を務めた伊東祐亨なども一緒に学んでいたのである。
 また日露戦争の際、時の皇后(のちの昭憲皇太后)の夢枕に立ち、海軍は必ず勝つと告げた男が龍馬であったという話もある。明治維新後、歴史の中に埋もれていた龍馬の業績を世に知らしめるために帝国海軍が動いていたという話を何かで読んだ記憶がある。


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坂の上の…(その16) [艦]

 ペーパークラフトの厳島を組み立てた。写真手前が厳島、奥が橋立である。
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 当初、橋立と全く同じものをもう1艦造って厳島を名乗らせる予定であったが、作者のetsutanさんからアドバイスをいただき、12cm砲の扉を加工した上で組み立てた。
 厳島は、松島型の2番艦として仏国フォルジ・エ・シャンティエ・ドゥラ・メディテラネ社で明治24(1891)年竣工。その年に日本に回航され、日清戦争では松島、橋立とともに連合艦隊の本隊を編成して活躍、日露戦争にも第3艦隊旗艦として参加している。


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坂の上の…(その15) [艦]

 NHK大河ドラマ「龍馬伝」
http://www9.nhk.or.jp/ryomaden/
に影響されて司馬遼太郎「竜馬がゆく」を読み始めた。どちらも非常に面白い。テレビの脚本はオリジナルで、「竜馬がゆく」とはストーリーが全く違うが、テレビの龍馬(龍)、小説の竜馬(竜)ともに、人を惹きつける魅力的な人物に描かれている点は共通している。女性だけでなく男性にもモテモテである。優しくてしかも大きいのである。
 しかしその優しさの質が、「龍」と「竜」とでは、はっきり言えないが何となく違うような気がする。時代の匂いといったものか。「竜」が昭和の男の優しさであるのに対して、「龍」は平成の今の優しさであるような気がしてならない。「龍」を演じる福山雅治さんの魅力に拠るところも大きいであろうが。


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坂の上の…(その14) [艦]

 ペーパークラフトの橋立を組み立てた。
 橋立はいわゆる三景艦(松島級)の3番艦。1番艦松島、2番艦厳島が畝傍と同じ仏国フォルジ・エ・シャンティエ・ドゥラ・メディテラネ社製であるのに対し、橋立は建艦技術習得を目的として、フランスから松島、厳島の設計者であるエミール・ベルタン造船大佐を招聘して横須賀海軍造船所で建造された。
 三景艦の中で最初に竣工した厳島から3年後の明治27(1894)年に竣工している。日本政府は、この橋立の竣工を待って日清戦争の開戦に踏み切ったという説もあるらしい。
 前部甲板に主砲として巨大な32cm砲1門を備えた特徴的な外観をしている(写真手前)。厳島も同様である。これに対し、松島は同じ32cm砲を後部甲板に備えている。実はもう1艦、松島と同形の4番艦を建造して、主砲前装艦(厳島、橋立)と後装艦(松島、4番艦)とを単縦陣で交互に並べて定遠、鎮遠にあたらせるという構想があったらしいが、4番艦の建造はキャンセルされている。
 艦の大きさに比べて32cm砲が大きすぎて、砲塔を旋回させると艦が傾いてしまい、使い物にならなかったらしい。三景艦は日清戦争の黄海海戦において主力艦隊を編成して活躍したが、その活躍は主砲ではなく、副砲として多数備えられた12cmアームストロング速射砲に拠るところが大きいという。
 船体は、デザインの国フランスらしく実に優美である。砲を全部取っ払えば、どこかの国の大富豪の自家用大型クルーザー(巡洋艦でない方の)に見えなくもない。
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 ここまで紹介した4艦(扶桑、鎮遠、畝傍、橋立)は、全てetsutanさん制作のペーパークラフトを組み立てたものである。
http://www.geocities.jp/papercraft_etsutan/index.html
 下記サイト内のペパクラギャラリーからデータをダウンロードすることができる。
http://www.tamasoft.co.jp/pepakura/index.html
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坂の上の…(その13) [艦]

 半藤一利「日本海軍の興亡」を読んだ。坂の上の雲の文脈からも薄々読み取れることではあるが、この本を読んでいると。帝国海軍の組織的な機能(人間力の集合としての)が、実は日露戦争をピークとしてその後は低下、硬直化の一途を辿っていったことが判る。日本海海戦で勝ちすぎたことが禍したのであろう。

 ちなみに半藤さんが編集者時代に司馬遼太郎の担当であったこと、奥様が夏目漱石のお孫さんにであることは、この場合偶然ではないであろう。
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