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西の旅(その3) [他社視察]

昼食後に向かったのは「呉市海事歴史科学館」通称「大和ミュージアム」。入り口前では海の神ネプチューンがお出迎え。
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館内に入ると戦艦大和の1/10の模型。
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これを見て思ったのは、やはり艦形の美しさ。以前にも書きましたが、
https://ho-blog.blog.ss-blog.jp/2010-03-28
こうした工業製品は、構造上のバランスや機能に優れているほど、実は見た目も格好が良いもので、いわば大和は、日清戦争以来、帝国海軍が積み上げてきた建艦技術の結晶と言えるかもしれません。
しかし大和の悲劇は登場時、既に大鑑巨砲の時代が終わっていたこと。昭和20年4月、沖縄に向けて出撃した大和には、護衛する一機の航空機もなく、敵艦載機に恣に雷撃されて戦没してしまいます。
こちらは零式艦上戦闘機62型。本物です。機器の故障で琵琶湖に不時着し、湖底に沈んでいたものを、引き揚げて復元したとのこと。
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大和の悲劇を生んだ時代の転換は、皮肉にも、この零戦などを主力として実行された真珠湾攻撃にありました。つまり太平洋戦争の初めに日本が開発した航空戦で、その太平洋戦争の終わり近くに、大和は戦没したことになります。
こちらは戦艦金剛のヤーロゥ缶。
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1913年の竣工時に搭載されていたこれも本物。1928年の改装時に、燃料が石炭から重油に変更されたことに伴って取り外されたため、現在もこうして残っています。このヤーロゥ缶を鉄道サイズに縮小したものが、LNERのW1
https://ho-blog.blog.ss-blog.jp/2019-08-30
https://ho-blog.blog.ss-blog.jp/2012-12-24
に搭載されていました。
以上の常設展示に加えて、さらに企画展「海底に眠る軍艦」が開催されており、大和の引き揚げ品などが展示されていましたが、この企画展で一番感動したのが戦後、復員庁が作成した戦没軍艦の位置と日時を記した地図。作成者の執念が感じられました。
大和ミュージアムを出ると雨脚が強く、風もあって、いよいよ台風が近づいてきた様子。そこで急いて、隣にある「海上自衛隊呉資料館」通称「鉄のくじら」へ。
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潜水艦あきしお内を見学しましたが、閉所恐怖症の私には潜水艦勤務はムリですね。
駅へ戻り、広島行きの普通電車(カープ応援ラッピング電車!)
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で広島駅へ戻り、のぞみで帰路につきました。ちなみにその時、九州新幹線は、台風接近により運転見合わせでしたが、山陽新幹線は定時運転でした。(この項おわり)

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hideta-o

はじドラさま
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Kooさま
nice!ありがとうございます。

by hideta-o (2019-09-28 13:58) 

hideta-o

ネオ・アッキーさま
@ミックさま
Edyさま
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nice!ありがとうございす。
by hideta-o (2019-09-28 13:59) 

hideta-o

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nie!ありがとうございす。
by hideta-o (2019-09-28 14:00) 

hideta-o

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nice!ありがとうございます。
by hideta-o (2019-09-28 14:02) 

hideta-o

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nice!ありがとうございます。
by hideta-o (2019-09-28 14:03) 

hideta-o

yamさま
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nice!ありがとうございます。
by hideta-o (2019-10-01 19:44) 

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