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ED56の謎-WHとの交渉の切り札だった? [機関区]

ED56.jpg
 メトロポリタン・ヴィッカース(MV)社製のED56には、よく知られていますように、
・ 他の機関車が少なくとも2両ずつは製造されているのに、1両しか製造されなかったのはなぜか、
・ 実車の銘板の製造年は1923(大正12)年なのに鉄道省への入籍は1927(昭和2)年で、4年もの時間差があったのはなぜか、
といった謎があります。
 これらの謎に対する答えとしては、一般に下記のことが言われています。
 ED56は、三菱電機が自社の研究用のサンプルとして独自に輸入したため1両しかなかった。また、サンプル用として研究後に国鉄に購入してもらったため、製造年に時間差を生じた。
 また、三菱電機は、国鉄が技術導入先の本命と考えていた米国ウェスティングハウス(WH)社と技術提携して、初の制式国産電気機関車EF52の開発に際しては幹事会社としての役割を担うことになりますが、そのWHとのライセンス契約の交渉がこじれた際に、他の重電メーカーとの契約も視野に入れて購入したのがED56だった、とも言われています。
 三菱電機がMVを選んだ理由の一つは、まさにこの時期に、MVが、南アフリカの鉄道・港湾庁(SAR & H: South African Railways and Harbours)向けに、ED56とそっくりの1E形
https://en.wikipedia.org/wiki/South_African_Class_1E
を大量に製造している最中だったことにあります。
 しかし、実はMVの前身がブリティッシュ・ウェスティングハウス、つまりWHの英国子会社だったということも、もう一つの重大な理由でした。
 同社は、重要産業を担う企業が外国資本であることを嫌った英国政府の意向によって、ワゴンリの客車などの製造メーカーであるメトロポリタン社に買収され、さらに戦艦三笠などを建造したヴィッカース社の傘下となって、米国のWH社から独立した英国資本の企業になりましたが、その出自を考えますと、基本的にWHと同じ機関車を造る技術があったと考えられます。
 そこで三菱電機は、内心ではあくまでもWHを本命としつつも、だめならMVとの契約もあり得るというカードをちらつかせながら、WHとの交渉をしたのではないでしょうか。
 つまりED56のサンプル購入は、いわばWH社への圧力であり、そのためには、サンプルの提供元はMVである必要があったのです。また、買うのは1両で良かったのです。
 さらに、ED56の国鉄への入籍が遅れたのは、交渉カードとして三菱電機が持ち続けている必要があったからです。
 交渉の結果、三菱電機はWHとのライセンス契約を締結して、幹事会社としてEF52の開発に携わっています。そして、EF52の本格的な開発が開始された1927(昭和2)年に、ED56は、晴れて国鉄籍を与えられています。
 ではそれまでED56はどうなっていたかと言いますと、1925(大正14)年に、国鉄の大井工場内で、さび止め塗装のままのED56が目撃されていました。おそらく国鉄が、あるいは三菱電機と協同して、構造を研究していたものと思われます。
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hideta-o

鉄腕原子さま
hanamuraさま
@ミックさま
nice!ありがとうございます。
by hideta-o (2018-03-27 22:09) 

hideta-o

ぼんぼちぼちぼちさま
ネオ・アッキーさま
nice!ありがとうございます。
by hideta-o (2018-03-29 22:13) 

hideta-o

ワンモアさま
Schnitzerさま
nice!ありがとうございます。
by hideta-o (2018-04-13 21:42) 

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