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京阪2000型 [京阪]

2000-6.JPG
1959年に登場した2000型一次車と、1961年製造の二次車以降との相違点は窓配置の違い。すなわち一次車の窓配置が
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で、客室窓の窓幅が900mmであるのに対し、二次車以降は窓幅が800mmで、窓配置が
d1D3D3D2
に変更されています。
この変更については、たとえば1700型~1900型などの在来車の窓幅が800mmだったことを根拠として、一次車の窓幅が特殊だったのを、二次車で標準サイズに戻した、といった文脈で語られることが多いようです。
しかし、客用扉の配置という観点では、違う流れが見えてきます。
冒頭写真をご覧ください。上から、1957~58年製造の1650型(のちの630型)、1959年製造の2000型一次車、1961年以降に車体新造の600型、そして1960年から製造の2000型二次車以降です。
ご覧のように、連結面側の側窓を1つにして客用扉を後ろにずらした2000型一次車の扉配置は、1650型から継承して、600型、さらには写真はありません(持ってません)が、1967年以降に製造の700型にも受け継がれていったことが判ります。
この扉配置は、下の写真のいちばん上のように、同系の奇数車と偶数車を背中合わせに連結した際に、客用扉の間隔が、2両の間にまたがる箇所も含めて、全て等間隔になるように考えられたものです。
2000-7.jpg
しかし2000型新製当時の京阪では、奇数車と偶数車が必ずしもきれいに背中合わせに編成されていた訳ではなく、どの形式も1両ずつ独立して走行可能であったため、上の写真の真ん中のように先頭同士を突き合わせることは言うまでもなく、いちばん下のように同じ向きの先頭車を2両以上連ねたりすることも普通に行われており、客用扉の間隔は、車輌のつなぎ方によってばらばらでした。
これに対し、2000型の二次車以降では客用扉の位置を窓一つ分前へずらして、下の写真
2000-8.jpg
のように奇数車、偶数車、そして中間車に関わらず、客用扉の位置が1両ずつ同じになり、奇数車、偶数車、中間車をどのように繋いでも、扉の位置が常に一定となるように改良されたのです。
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コメント 4

hideta-o

ネオ・アッキーさま
鉄腕原子さま
@ミックさま
xml_xslさま
nice!ありがとうございます。
by hideta-o (2019-08-12 14:42) 

hideta-o

芝浦鉄親父さま
あおたけさま
常武鉄道さま
nice!ありがとうございます。
by hideta-o (2019-08-12 14:46) 

まぢにゃん

なるほど〜〜!
なんか昔そんな話を聞いたような気がするなぁ。(^ ^)
by まぢにゃん (2019-08-13 01:06) 

hideta-o

まぢにゃんさま
ご訪問ありがとうございます。昔から扉の位置については、各私鉄でいろいろな試みがなされていたようですね。たとえば阪神の3011形は連結面のまどをパノラミックウィンドウにして、側面からみたとき、窓の連続感を損なわないようにしたとか。
by hideta-o (2019-08-13 08:38) 

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