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阪神-京阪連絡線(その4) [空鉄(空想鉄道)]

 (阪神3101形)
ー概要ー
 床下機器を並べながら、3101形の概要を考えてみました。
3101-7.jpg

3101-8.jpg
(i) それぞれの車体に別個に制御器を搭載した1C4M制御ながら、パンタグラフとMG関係の機器は奇数車、CP関係の機器は偶数車に分けて2両1ユニット方式とした。
(ii) 制御器は、東芝製の発電ブレーキ付電動カム多段式であるMPM形のMM-1A、制動装置は電空併用自動空気ブレーキのAR-D形として、3011形との併結を可能とした。
(iii) 抵抗器は、地下線での静粛性を考慮して、3011形の強制通風式から自然冷却式に変更した。
(iv) 駆動方式は直角カルダン式とし、台車は、同時期に製造された3301形、3501形急行車と同じペデスタル式のFS206をこれら急行車に先駆けて採用した。
ー製造後の経緯ー
 1963(昭和38)年の阪神-京阪連絡線の開通と同時に、京阪1900系と阪神3011形、3101形を使用した三三特急の運行も開始されます。停車駅は三条、四条、七条、梅田、三宮の5駅。
 ところが蓋を開けてみると、殆どの乗客は梅田で入れ替わってしまい、三宮-三条間を通しで乗りとおす乗客の数は極めて少ないことが判ってきます。
 この主な原因としては、国鉄の快速の京都-三ノ宮間が60分弱、阪急の特急が十三乗り換えで65分弱に対して、三三特急が70分もかかったことが考えられます。
 しかも急激な乗客増により、特に阪神間で、オールクロスシート車では積み残しが発生する事態に至ります。
 さらに阪神、京阪ともに乗客増に対する深刻な車輛不足が発生したことから、三三特急は運行開始からわずか1年で1964年に運行停止、京阪、阪神ともに特急は梅田折り返しに変更されます。また、阪神特急にはロングシート3扉の急行車(赤胴車)が投入されるとともに、梅田-三宮間ノンストップから主要駅停車に変更されます。
 そして特急車3011形は、1964(昭和39)年には、赤胴車と併結できるように、最初は2扉のまま
(1) ロングシート化、
(2) 前面切妻貫通化、
(3) 制動装置のHSC化、および
(4) 塗装の赤胴車化
等の大改造を受けて急行車3061形、3561形となり、その後1969(昭和44)年にはさらに3扉化されます。
 一方の3101形は、もともと前面貫通式のため車体はそのままで、3011形と同じ年に(1)(3)(4)の改造を受けます。また3011形に続いて3扉化も検討され、そのための計画図も残されています。本来の前後の扉間隔が狭いため、多少無理があるようですが・・・。
3扉化計画図.jpg
 ところが実車を調べてみると、2連窓が並んだ車体はもともと構造的に弱かった上、1段下降窓が災いして腐食が進んでいたため、3扉化は断念されます。
 そして総数4両と少なかったこともあって、その後は本線運用からは外れ、西大阪線や武庫川線などのローカル運用で早い晩年を過ごしたのち、1980(昭和55)年には廃車されています。
 1983(昭和58)年には、7801-7901-3521を界磁チョッパ制御に改造した3000系が登場しますが、この3000系のMc車3101形は2代目にあたります。
nice!(4)  コメント(3) 

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コメント 3

hideta-o

ワンモアさま
Schnitzerさま
nice!ありがとうございます。
by hideta-o (2016-09-18 09:14) 

hideta-o

ネオ・アッキーさま
nice!ありがとうございます。
by hideta-o (2016-09-19 19:22) 

hideta-o

Cedarさま
nice!ありがとうございます。
by hideta-o (2016-09-28 21:06) 

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