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大阪市バス"あおぞら(改)塗り"の時代 [バス]

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 大阪市電の全廃後、市バスには地下鉄網の補完機能が期待されたのですが、市電時代よりさらに進行したモータリゼーションは市バスの運行の定時性をも失わせ、乗客の大幅な減少を招いてしまいます。
 これに対処するため交通局は路線網の整理やゾーンバスの導入などの施策を実施しますが乗客減少の歯止めにはなりえず、これ以降、現在に至るまで市バスにとっては冬の時代が続くことになります。
 ゼブラ塗りが市バス全盛期の象徴とすれば、
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現行塗装
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とゼブラ塗りの間のクリームとモスグリーンの塗り分け
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は、この冬の時代の始まりを告げる負の象徴であったのかも知れません。この塗装についてゼブラ塗りのような明確な愛称がないのもこのためかと考えます。「大阪市交通局百年史」などの公式記録でも、この時代のバスの写真は少ししか掲載されていません。
 私はこの塗装を、勝手に「あおぞら(改)塗り」と呼んでいます。「大阪市交通局百年史」に、1972年に導入した電気バス「あおぞら号」に合わせて、一般バスの塗色をゼブラ塗りから変更したとの記載があるためです。もっともあおぞら号は塗り分けが微妙に違うため「あおぞら塗り」の改良ということで「あおぞら(改)塗り」です。塗り分けは観光車に準じているようです。
 しかしこのあおぞら(改)塗りの時代であっても、交通局はそうした状況をただ手を拱いてみていたわけではなく、路線バスの完全ワンマン化や上述したゾーンバスの導入などの施策を実施するとともに、技術面でも例えばワンステップバス(導入はゼブラ塗り末期の1971年ですが)や上記あおぞら号(1972)の導入などを試みています。
 ただ貧すればなんとかで、あおぞら号(いすゞEU05)は2台のみ、ワンステップバス(三菱ふそうB820J)に至ってはわずか1台しか導入されず、抜本的な対策とはなり得なかったようですが・・・。
 そんな冬の時代を象徴するあおぞら(改)塗りですが、実はゼブラ塗りよりも馴染みがあって私は結構好きです。
 学生時代に関西で「バス研究会」なる裏の(?!)組織ができ、私は会員にこそなりませんでしたが、その機関誌「バスファン」のバス模型趣味(BMS)のコーナーに掲載されたバスの図面をもとに1/80で模型化を試みていたのがちょうどこの頃です。
 次回以降、あおぞら(改)塗りのバスを少しずつ紹介してゆきたいと考えています。
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コメント 2

hideta-o

onemoreさま
nice!ありがとうございます。
1990年代以前の古いバスのモノコックボディーの製造には、実は中島飛行機→富士重工業や川崎航空機製造などの航空機メーカーが多く関わっています。
by hideta-o (2014-10-06 21:24) 

hideta-o

まるたろうさま
サットンさま
nice!ありがとうございます。

by hideta-o (2014-10-20 22:57) 

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