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Gresley A1/A3 [BR極東局]

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 LNERのパシフィックを概観すると、まず1922年に、LNERへの統合前のGNR(Great Northearn Railway)において、その技師長であったGresleyの主導によって、かの有名なクラスA1が製造される。
 A1が製造された頃の蒸気機関車の設計には、英国ではLMS (London Midland and Scottish Railway)、欧州ではプロイセン国鉄などが提唱し、日本では島安次郎が推進した小機関車主義と、アメリカで実践された大機関車主義の2つの流れがあった。
 Gresleyは後者に属しており、それまでテンホイラ(2C)が主流であった英国において、大機関車主義に則ったはじめてのパシフィック(2C1)としてA1を設計し、製造を開始した。
 新開発のGresley式弁装置を装備した単式3気筒過熱式の、伸びやかでいかにも速く走れそうな姿をした機関車である。
 しかしA1は完全な成功とは言えなかった。1925年に実施されたGWR (Great Western Railway) のテンホイラ、Castle (カースル)クラスとのタイムレースにおいて敗北を喫する。石炭消費量が大きく、つまり燃費が悪く、出力が小さいという結果が出たのである。
 Gresleyは、敗北の原因を究明するため、GWRからカースルクラスを借りて徹底的に研究をし、その結果を反映した手直しをして、1928年にA3を開発する。またA1の半数強は、改修を受けてA3に編入される。有名な"Flying Scotsman"も、A1として製造されてA3に編入された1両である。結果、A1、A3合わせて1934年までに合計79両が製造された。
 冒頭の写真は、正規の鉄道模型が入手できなかったため、フルタ製菓の食玩「世界SL紀行」のクラスA1 No.4472 "Flying Scotsman"。長距離走行用のコリドアテンダに換装後の姿で、縮尺はおよそ1/198。A1/A3のプロポーションをなかなか良く捉えていると思う。
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