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福澤桃介 [坂の上の]

 福澤桃介は、武蔵国荒子村、今の埼玉県吉見町の農家、岩崎家の次男 岩崎桃介として1868年(慶応4年)に誕生する。小学生の頃から神童の誉れ高く、中学校を卒業すると周囲の援助を受けて慶応義塾に入塾する。これより少し後、米国留学時代の彼の写真を見ると、西洋人かと見間違うほど目鼻立ちのはっきりした二枚目であり、子供時代から美少年であったことが判る。天は、彼に二物(後述するようにそれ以上)を与えたもうたようである。
 在学中、その眉目秀麗ぶりが福澤諭吉夫人 錦の目に留まり、結婚適齢期を迎えていた次女 房の婿養子として迎えたいとの縁談が持ち上がるが、その前に桃介は、後の川上貞奴と運命的な出会いをしている。言い伝えでは、まだ水揚げ前の小奴と名乗っていた彼女が乗馬(!)の練習で遠乗りをした帰り道、野犬に囲まれて困っていたところを桃介が助けたのがきっかけで、互いに惹かれあったらしい。美男と美女ならではの劇的な出会いである。
 しかし小奴には既に時の宰相、伊藤博文他、政財界の有力者が贔屓として後に控えており、片や桃介は一介の書生に過ぎない。
 そのため彼は小奴から身を引き、福澤家の養子となることを決心する。諭吉から条件として提示された3年間の海外留学も大きな魅力であっただろう。
 1887年に渡米し、諭吉の指示および口利きでペンシルバニア鉄道に迎えられる。時に桃介 弱冠19歳であるが、専属の秘書付き、ファーストクラスのフリーパス付きの特別待遇であった。
 この地位を利用して鉄道事業のノウハウを吸収するために大いに学ぶとともに、当時の米国の上流階級の人々や、米国に留学、遊学等していた日本の有力者らと誼を通じることにも注力する。例えば三菱財閥の御曹司で、後に第三代総帥となる岩崎久弥らと親交を持つのもこの時期である。(この項つづく)


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