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坂の上の…(その23) [艦]

 明治の軍艦の艦名について。
 まず「扶桑」は、中国の伝説で東海の日の出る処にあるという神木の名前であり、転じて日本の美称とされる。
 「鎮遠」は元々清国の船であるので命名法が大きく異なる。遠く異国を鎮めるという意味合いである。同様の発想で「定遠」「済遠」などがあった。この「遠」は日本のことで、やがて日本を制圧するという清国の強い意思の顕れであったとする説があるが、当時の清国にそこまでの意図があったかどうか。
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 「浪速」「高千穂」「畝傍」の3艦は単に地名を付したものではなく、これは以前紹介した伴野朗「九頭の龍」からの受け売りであるが、神武東征伝説に基づいて名づけられている。すなわち記紀伝承によれば、高天原から天下った瓊瓊杵尊の子孫である神日本磐余彦、のちの神武天皇らは、それまで住まいしていた日向国「高千穂」宮を出、瀬戸内海を経て「浪速」津に上陸して大和を目指すも、先住民である長髄彦の抵抗に合って一旦退却。和歌山から再上陸し、長髄彦を倒して大和に入って「畝傍」橿原宮に皇居を構えられたという。
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 三景艦は、言うまでもなく日本三景、つまり奥州「松島」、安芸「厳島」(宮島)、丹後「橋立」(天橋立)に因む。
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 三景艦の「橋立」に続いて横須賀海軍造船所で建造された「秋津洲」は、日本の本州の美称であり、大和の国に入った神武天皇が山上から国見をされて「蜻蛉のトナメ(交尾)の如し」と言われたという伝説に基づく。
 日本では蜻蛉は、作物の害虫を食べる益虫として大切にされてきた。西洋において単に長い蝿(dragonfly)と呼ばれているのとは大違いである。
 この点、蝙蝠と似ている。西洋では蝙蝠は、例えばイソップ物語にもあるように動物でも鳥でもない変な生き物とされ、バンパイア伝説と結びついて気味悪がられるに至るが、日本では、やはり害虫を食べる益獣として珍重されたのである。蝙蝠は、長崎名産の一つ福砂屋のカステラのマークにもなっている。
 ちなみにetsutanさんの次回作はこの「秋津洲」であるという。今から楽しみである。
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