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朝ドラ [芸談]

2018年度下半期のNHK連続テレビ小説「まんぷく」も昨日で無事おわり。おもしろかった。ところで以前から気になっていたのが、

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近鉄電車の形式について(その3) [近鉄]

初期の高性能車は、技術的に出力を大きくとることができなかったため、大阪線の場合は、ひとまず大阪方区間車としての増備が続きます。
まず1957(昭和32)年には、モ1450型で試験したWNドライブ、1C8M制御(いわゆるMM′ユニット方式)を実用化した量産車
モ1460型6両
が製造されます。この電車は、1個の電動機の出力が75kw、2両編成で総出力600kwの両開き3扉車でした。
続いて1959(昭和34)には、性能はモ1460型と同じながら、モ1460型と同年に南大阪線に投入された6800系と同じ両開き4扉を採用した
モ1470型10両
が製造され、大阪線通勤車の基本構成が確立されます。
しかし近鉄は、自社が開発したMM′ユニット方式のオールM編成に飽き足らす、電動機の高出力化によるMT編成化を目指します。
このあたりの経緯は、近鉄には限らず早期に高性能車を導入した各社でほぼ同時に進行しますが、近鉄ではまず1958(昭和33)年に、125KWの電動機を採用した10000系特急車(4M3T)が試用され、次いで大阪方普通車にも同様の電動機を採用して基本2M1T編成+増結1T(国分以西の平坦線限定)、総出力1000kwとした
モ1480型18両(偶数車Mc:9両、奇数車M:9両)
ク1580型9両
ク1590型5両
が1961(昭和36)年~1966(昭和41)に投入されます。(この項つづく)

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近鉄電車の形式について(その2) [近鉄]

(大阪、山田線)
前回書きましたように、大軌、参急時代には、新しい形式ごとに形式番号を100ずつ進めてきたのですが、参急ではこの法則に限界を感じたのか、モ2200型の増備はモ2400型となはらず、モ2200型の続番で2227から附番され、同じくク3100型の増備はク3200型とはならずに、ク3110型となりました。
さらに第二次世界大戦後、旧大軌車両に相当する大阪方区間車として1948(昭和23) 年~1949(昭和24)年に製造された運輸省規格型電車の電動車には、大軌の附番法則による電動車の形式番号が既に1400番台に達しており、空きがなかったため、参急デニ2000型が改軌前の名古屋線に転用、改番されて空いていた直通車(旧参急車)の電動車の番号である2000番台が附番されます。
モ2000型10両
また同系の制御車は、これ以上、番号を浪費することを危惧したためか、これまでの附番法則を改めて、
ク1550型5両
とされます。そして、ここから形式番号の細切れ化がはじまります。
すなわち1952(昭和27)年には、モ1300型1308号の事故復旧、車体新製車が、1300型の系列ということか、
モ1320型1両
と附番され、さらに1952(昭和27)年~1953(昭和28)年には、モ1320型と同系車体の新造制御車
ク1560型9両
が製造されます。
そしてこのク1560型のうちの2両が、1954(昭和29)年に高性能車の試作(WNドライブ、1C8M制御)として
モ1450型2両
に改造されます。モ1400型に続く新型の大阪方区間車という位置づけでしょう。
また直通車としては、モ2200型、サ3000型の後継車として、1953(昭和28)年と1955(昭和30)年に、
モ2250型10両
サ3020型9両
が製造されます。
そして1957(昭和32)年には、直通車モニ2300型のうちの2両が、ロングシート3扉の一般車
モ1420型2両
に改造されますが、この2両は、さらに1961(昭和36)年に電装解除して
サ1520型2両
とされます。(この項つづく)

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近鉄電車の形式について [近鉄]

ブログなどでよく目にするのが「近鉄電車の形式が判らない」といった記載。そこで私なりに、近鉄電車の形式の流れの解説を試みます。まずは大阪線、そして改軌後の名古屋線系統から。
(大軌)
近鉄電車の形式が難解になっているそもそもの原因は、大阪電気軌道(大軌)、参宮急行電鉄(参急)が桜井線、参急線(現在の大阪線、山田線)用の車両の形式番号を、ぜいたくに使いすぎたことにあります。
すなわち大軌は、架線電圧600Vの奈良、橿原線車両と区別するため、架線電圧1500Vの桜井線の車両の番号を電動車:1000番台、制御車、付随車:1500番台に設定。新しい形式ごとに形式番号を100ずつ進めることとして、まず1929(昭和4)年の開業に際して、
デボ1000型8両
デボ1100型2両
を製造しますが、この2形式は搭載機器のメーカーが違うだけで実質的に同じ。普通なら連番にすべきところ。
次いで1930(昭和5)年に増備されたのが
デボ1200型4両
デボ1300型16両
の20両。両形式の違いは発電ブレーキの有無。
さらに1939(昭和14)年には、参急2227型と同系の車体を有する
デボ1400型16両
クボ1500型5両
を製造。
ここまでが大軌時代の車両ですが、僅か51両で、車両番号のうち1000番台~1500番台までを消費しています。
(参急)
一方の参急は、電動車:2000番台、制御車、付随車:3000番台に設定し、やはり新しい形式ごとに形式番号を100ずつ進めることとして、1930(昭和5)年の開業時に
デニ2000型8両
デト2100型4両
デ2200型27両
デトニ2300型8両
サ3000型17両
ク3100型5両
の57両を製造。
次いで1939(昭和14)年~1940(昭和15)年に
デ2227型20両
ク3110型5両
サ2600型1両
の26両を増備。このうちサ2600が形式規定に反しているのは、ご存じのように紀元2600年を記念した貴賓車であるため。
ここまでの83両で2000番台~2300番台、2600番台、そして3000番台~3100番台が使用済みに。
しかし大近鉄が成立し、戦後の復興輸送期に入ると、番号不足が一気に表面化します。(この項つづく)

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近鉄900系(その7) [近鉄]

抵抗器セットを車体に取り付け。さらにエアタンクその他をぶら下げました。写真上が偶数車、下が奇数車。やはり奇数車と偶数車で配置が少し違います。
900-14.JPG
参考にしたのがこちらの写真。

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近鉄900系(その6) [近鉄]

(山側)
続いて山側は、とくに抵抗器の形、数、配置などが実車とは全く違うため、作り直すことにします。
まずはGMの8486「動力台車枠・床下機器セットA-04」
900-11.JPG

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近鉄900系(その5) [近鉄]

ふだん、鉄コレの電車の床下機器は「詳しく見ない」そして「触らない」ことにしているのですが、900系については、とある理由で、阪神3011形以来久しぶりに、この原則を破ってモ900の床下機器をいじることに。
ただし900系は、奈良線系の昇圧時にMG、CPがモ900からク950に換装されるなど、床下機器の配置が大幅に変更されており、この製品のような原型時代の床下機器の配置が判る資料は、書籍でもネット上でも非常に少ないため、今回の改造には類推が多く含まれています。なので、あくまでも"それらしく"です。
(海側)
まずは海側から。

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社寺参詣 [いまさら読書]


江戸時代、伊勢には正規の神職のほかに御師とよばれる人々がおり、全国各地を、暦やお札を売り歩いて廻ったり、伊勢講の人々に請われて、ツアーコンダクターとして伊勢までの案内をしたり、伊勢で宿坊を経営して人々を宿泊させたりしていました。
しかし明治になり、国家神道が成立すると、身分上は民間人であった御師の制度は廃止され、御師に代わって鉄道が、伊勢参りを主導するようになります。
まず明治初期の第一次鉄道ブームの際には、関西鉄道の津から分岐していまの伊勢市に達する参宮鉄道が開業し、関西鉄道と連携して参宮輸送を開始します。
次いで鉄道国有化法によって参宮鉄道や関西鉄道が国鉄となった後は、明治後期から大正期の第二次鉄道ブームに勃興した大阪電気軌道が、昭和に入って系列の参宮急行電鉄を経て宇治山田に到達して参宮輸送を担うことになります。
この本では、日本の近代化の象徴であった鉄道が、明治から昭和の初めにかけて、実は江戸以来の社寺参詣という昔ながらの行事にも大きく関わってきただけでなく、その変化をも促してきたことを、参急のほか、様々な事例を挙げて紹介しています。

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近鉄900系(その4) [近鉄]

ク950(新)の運転台窓にワイパーを取り付け。
900-9.jpg

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