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ケネディ家の呪い(その5) [いまさら読書]


ロバート・フランシス・ケネディ(1925-1968)
兄ジョンが暗殺されたとき、ロバートは、殺されるのは自分だと思っていた、と側近に語っています。それだけロバートは、マフィアとの対立を深めていたのです。
そして彼は、兄の遺志を継ぐため1964年に上院議員となり、さらに1968年の大統領選挙に出馬しますが、カリフォルニア州の予備選挙後にロサンゼルスのホテルで催された祝勝会場から退出するため厨房を通過した際に銃撃を受け、そのまま帰らぬ人となってしまいます。
暗殺犯は、パレスチナ難民だったサーハン・ベシャラ・サーハン(1944-)。終身刑の判決を受けた彼は、今も刑務所に服役しており、暗殺を実行したのは自分であることを認めていますが、動機については何も語っていません。
また捜査当局も、早々と捜査を切り上げてしまい、今も事件の背景は不明のままですが、もしもこのジョンおよびロバートの暗殺に、巷間噂され、またロバート自身が危惧していたようにマフィアが関わっていたとしますと、その原因は、最初にマフィアと手と結んだ彼らの父ジョセフ・パトリック・ケネディ・シニアにあったといわざるを得ません。
つまりケネディ家の呪いとは、ジョセフ・パトリック・シニアの、権力に対する妄執によって引き起こされた悲劇だったといえるのではないでしょうか。
ジョセフ・パトリック・シニアは、1961年に脳梗塞を患って半身不随となりながらも、1963年のジョンの暗殺、1968年のロバートの暗殺、そして末っ子のエドワード・ムーア・ケネディ(1932-2009)が、自ら引き起こした自動車事故がもとで大統領選挙への出馬を断念せざるを得なくなったチャパキディック事件(1969年)まで、次々と子供たちを襲う不幸をなすすべもなく見続けたのち、同年に死去しています。(この項おわり)
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hideta-o

nice!をいただいた皆様、ありがとうございます。
by hideta-o (2021-04-26 14:18) 

hanamura

1958年の赤玉ポスターに激アツ☆コメントをありがとうございます。
1968年のロバート暗殺の同じ年、ベトナム戦争の反対デモをめぐる裁判がテーマの映画「シカゴ7裁判」は「ノマドランド」より断然面白かった!司法長官ダメ・カッケー!爺ィ判事サイコー! いつの日か、合衆国議会議事堂襲撃を扇動した大悪人に、正義の裁きが下されることを祈っています。
by hanamura (2021-05-01 16:20) 

hideta-o

hanamuraさま
ご訪問ありがとうございます。かの国は、かつて国際連盟を提唱しておきながら参加しなかったり、禁酒法が成立したりする不思議な国なんで、まだまだ予断を許さないでしょうね。
by hideta-o (2021-05-04 10:14) 

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