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ケネディ家の呪い(その4) [いまさら読書]

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43歳という若さゆえの経験不足が危ぶまれたジョン・フィッツジェラルド・ケネディでしたが、1961年1月20日の大統領就任演説で提唱したニューフロンティア政策、そして「国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい。」といった名言などで、米国のみならず世界の人々、特に若者たちを魅了します。
そして同年には、10年以内に月へ人類を送り込むことを宣言し、さらに同年のベルリン危機や1962年のキューバ危機では、核戦争による人類滅亡の危機を回避するなど手腕を発揮しますが、妹パトリシア・ヘレン・ケネディ(1924-2006)の夫であったハリウッド俳優のピーター・ローフォード(1923-1984)、そして彼が属していたシナトラ一家の親分であるフランク・シナトラ(1915-1998)を通じて、大統領選挙以来、父の場合と同様に、彼とマフィアとの付き合いも続いていたようです。
しかし、司法長官になる前から労働組合幹部とマフィアとの癒着を追求してきたロバートや、マフィアに対する取り締まりを強化していたFBIからの忠告を受けると、ジョンはシナトラやマフィアとの関係を断つことを決意しますが、1963年11月22日、翌年の大統領選挙の運動のために訪れたテキサス州ダラスで、凶弾に斃れてしまいます。
このケネディ大統領の暗殺は、暗殺事件としてはきわめて特異です。
確実にターゲットを殺害するには、たとえば人ごみに紛れるなどして、できるだけ至近距離に近づいてから発砲するのが定石と思われますが、この事件では、衆人環視の中、オープンカーでパレード中の大統領を、静止していても弾丸を的中させるのが難しいような遠距離から狙撃して、しかも2発も命中させるという離れ業をしてのけているのです。
そのうえ、わずか数秒の間に少なくとも2発の弾丸が発射されていることを考えると、おそらくスナイパーは複数いたと考えられ、さらに囮としてのリー・ハーヴェイ・オズワルド(1939-1963)や、オズワルドの口を塞ぐためのジャック・ルビー(1911-1967)を手配していることなども考えると、何らかの組織が動いていたことが想像されます。
冒頭写真は、合衆国発行の半ドル硬貨。1964年に、絵柄が、それまでのベンジャミン・フランクリン(1706-1790)から、前年に暗殺されたケネディ大統領に改められて、現在まで発行され続けていますが、この1964年版が最も高価に取引されています。
原因は、ケネディ大統領の暗殺をうけた最初の版であることのほかに、半ドル硬貨が、この1964年版までは銀の含有率90%と高品位だったのに対し、それ以降は銀の市場価格の高騰にともなって、1970年までの版では銀40%に引き下げられ、さらに1971年からは銅の表面をニッケルでメッキしたクラッドに変更されてしまったことにあります。(この項つづく)

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hideta-o

nice!をいただいた皆様、ありがとうございます。
by hideta-o (2021-04-26 08:43) 

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