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ケネディ家の呪い(その3) [いまさら読書]


ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ(1917-1963)
兄ジョセフ・パトリック・ジュニアが戦死したとき、ジョンは、憔悴する父ジョセフ・パトリック・シニアの姿を見て、これでこっちにお鉢が回ってくると嘆いたといいます。海軍の魚雷艇の艇長だったジョンが、南太平洋で日本の駆逐艦の体当たりによって艇を沈められ、命からがら帰還して自宅で静養しているときでした。
シニアは軍部に働きかけて、ジョンの帰還までの行動が英雄的であったとして表彰させ、さらに知り合いの記者に彼の英雄譚を書かせて新聞に発表させます。まずはジョンを、大戦の英雄に仕立て上げたのです。
海軍を退役するとジョンは、父シニアの世話で、特派員として欧州に赴いていくつかの記事を書き、それらの記事をシニアは、新聞社に手をまわして、ジョンの署名入り記事として、彼の経歴、つまり大戦の英雄であることなどをキャプションしたうえで掲載させます。
こうした下準備を重ねたシニアは、ジョンを1946年にマサチューセッツ州の下院議員に、次いで下院議員を3期務めたあとの1952年には上院議員に立候補させ、いずれも潤沢な選挙資金をつぎ込むとともに家族総出の選挙運動を展開して、対立候補に大差をつけて当選させます。
そして満を持して、1960年の大統領選挙に臨むとシニアは、こんどは表の選挙運動だけでなく、繋がりのあったマフィアの手を借りて、裏の選挙運動(不正)にも手を出します。たとえば投票所の監視員を買収して、投票箱をすり替えるといったことまでしたようです。
このことで思い出されるのが2020年の大統領選挙。JFKとおなじカトリック系アイルランド人の血を引くジョー・バイデンが選挙不正をしているというドナルド・トランプの法螺話を、多くのアメリカ人が信じてしまったのは、ケネディ家のこの史実を踏まえたからでしょうか。
なにはともあれ、こうした父の表裏両面での協力もあり、また当時普及しつつあったテレビの力も借りて、ジョンは合衆国大統領に当選し、弟のロバート・フランシス・ケネディ(1925-1968)を司法長官に据えて政権運用にあたることになります。(この項続く)
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hideta-o

nice!をいただいた皆様、ありがとうございます。
by hideta-o (2021-05-01 14:49) 

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