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ケネディ家の呪い(その2) [いまさら読書]

ジョセフ・パトリック・ケネディは、駐英大使を足掛かりに政界へ進出して、ゆくゆくは合衆国大統領になることを目指しますが、駐英大使時代の発言などが仇となってその望みを断念せざるを得なくなり、自分の息子たちに向後を託します。

ジョセフ・パトリック・ケネディ・ジュニア(1915-1944)
ジョン・フィッツジェラルドの兄で、ジョセフ・パトリックが自らの名をつけてとくに溺愛していた長男のジュニアは、成績優秀でスポーツ万能でもあり、父が最も期待する存在でした。
そして彼も、父の期待に応えるべく、ハーバード大学から英国留学、そしてハーバード大学ロースクール(法科大学院)に進学し、さらに在学中には海軍航空隊に志願します。政治家になる足掛かりとして、大戦の英雄の称号を得るためでした。
そして飛行艇のパイロットを経て、アンヴィル作戦、あるいはアフロディーテ作戦と呼ばれる特殊作戦に参加します。
この作戦は、無線操縦装置を組み込んだ爆撃機に大量の爆薬を搭載し、随伴する指令機からの無線操縦で、当時ドイツの占領下にあったフランス領内の、V-1号飛行爆弾の基地に突入させてV-1号もろとも破壊するというもので、行程の途中まではパイロットが操縦し、安全装置を外してパラシュートで機外へ脱出することになっていました。
しかしジュニアと同僚が搭乗した機は、彼らが脱出する前に爆薬が誤爆して墜落、ジュニアたちは帰らぬ人となってしまいます。
ローズ・マリー・ケネディ(1918-2005)
ジュニアとジョンの妹で長女のローズマリーは、精神的に不安定な傾向があるとされ、ケネディ家の政治活動の妨げになるような問題を引き起こすのを防ぐため、父の命令で、23歳のときに、脳の一部を遮断するロボトミー手術を施されて、人格が破壊されてしまいます。そして86歳で没するまで、その人生の大半を障碍者施設で過ごすことになります。
キャスリーン・アグネス・ケネディ(1920-1948)
次女のキャスリーンは、父の反対を押し切って、英国貴族でプロテスタントのハーティントン候ウィリアム・キャベンディッシュ(1917-1944)と結婚しますが、夫は結婚早々に戦死。その後、同じく英国貴族でプロテスタントのフィッツウィリアム伯ピーター(1910-1948)と出会い、彼の離婚を待って再婚する予定でしたが、新しい夫となる人をケネディ家に紹介し、そしてケネディ家と和解するべく米国へ向かうために搭乗した旅客機が墜落して、2人とも亡くなってしまいます。(この項つづく)
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hideta-o

nice!をいただいた皆様、ありがとうございます。
by hideta-o (2021-04-17 13:53) 

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