三条大橋東詰の乱(補遺) [夢のあと]
三条大橋と四条大橋についてコメントをいただいたので、少し補足。
どちらの橋も、少なくとも室町時代には架橋されていたようですが、三条大橋は、前回説明しましたように東海道五十三次の終点として重要な橋だったため、五条大橋とともに、古くから時の政権が建設、補修、架け替えの責を負う公儀橋でした。
一方の四条大橋は、祇園社(八坂神社)が、参詣客の便宜を図るために勧進をして建設した町橋。町橋の建設、補修、架け替えは、橋の両側の町が負担することになっていました。そこに橋が架けられて交通が発生したことによる利益に応じて、その橋の周りの町(橋掛町といいます)が費用を負担する、いわゆる受益者負担というやつです。
両者の違いは外観でわかりました。公儀橋は欄干に擬宝珠
があるのに対し、町橋は擬宝珠を飾ることを許されていなかったのです。
桂米朝師匠に、この擬宝珠の有無にかけた艶笑小噺があります。
三条、五条の大橋が、四条大橋に向かって、祇園町や先斗町の芸妓さんや舞妓さんがたくさん通って羨ましいというと、四条大橋が、残念ながらわしには擬宝珠がない...。おあとがよろしいようで。
どちらの橋も、少なくとも室町時代には架橋されていたようですが、三条大橋は、前回説明しましたように東海道五十三次の終点として重要な橋だったため、五条大橋とともに、古くから時の政権が建設、補修、架け替えの責を負う公儀橋でした。
一方の四条大橋は、祇園社(八坂神社)が、参詣客の便宜を図るために勧進をして建設した町橋。町橋の建設、補修、架け替えは、橋の両側の町が負担することになっていました。そこに橋が架けられて交通が発生したことによる利益に応じて、その橋の周りの町(橋掛町といいます)が費用を負担する、いわゆる受益者負担というやつです。
両者の違いは外観でわかりました。公儀橋は欄干に擬宝珠
があるのに対し、町橋は擬宝珠を飾ることを許されていなかったのです。
桂米朝師匠に、この擬宝珠の有無にかけた艶笑小噺があります。
三条、五条の大橋が、四条大橋に向かって、祇園町や先斗町の芸妓さんや舞妓さんがたくさん通って羨ましいというと、四条大橋が、残念ながらわしには擬宝珠がない...。おあとがよろしいようで。
2020-01-19 17:42
nice!(92)
コメント(7)
こんばんは!
なるほど・・勉強になりました!
by Take-Zee (2020-01-19 18:07)
成り立ちが分かりやすかったです。
擬宝珠に注意して、次回は渡って見ようと思いました。
by ヨッシーパパ (2020-01-19 19:33)
Taka-Zeeさま
ご訪問ありがとうございます。この取材のため、私も久しぶりに三条大橋を渡ったんですが、あの辺りは人通りも多くて、観光地らしい風情がありますね。
by hideta-o (2020-01-20 08:36)
ヨッシーパパさま
ご訪問ありがとうございます。今の三条大橋の大部分はコンクリート製ですが欄干は木製で、擬宝珠は豊臣時代のものをそのまま使っています。またいくつかの擬宝珠に、新撰組がつけたという刀傷が残っていますが、その真偽は不明です。
by hideta-o (2020-01-20 08:47)
nice!をいただいた皆様、ありがとうございます。
by hideta-o (2020-01-20 08:48)
おかげさまでTVで映った時にすぐに区別ができます。
by 青い森のヨッチン (2020-01-20 11:58)
青い森のヨッチンさま
ご訪問ありがとうございます。擬宝珠の有無は江戸時代のことで、京都鴨川に架かる橋はそれを継承していますが、それ以外、特に観光地の橋なんかは、昔のことに関係なく擬宝珠があったりしますのでご注意くださいね。
by hideta-o (2020-01-22 08:31)